[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.019 人間不合格者の烙印

 

将来に向かって歩く事は、ぼくには出来ません。

将来に向かってつまずくこと、これは出来ます。

いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。

 

フェリーツェへの手紙 / フランツ・カフカ

 

 

 「何もかもが駄目な一日」というのが時折訪れる。これは自分だけではなく、全ての人々が経験することなのでしょう。そう理解してるつもりでも、その日が来訪した時には、こんなにも理不尽な不幸が重なることは有り得ない、そのように眼前で続けざまに起きる事象を直視することが出来なくなります。「自分が一番不幸な錯覚に陥る」こんなことを思ってはならないのも理解している、それでも思わずにはいられない。だって、悲劇が舞台上で手招きをしているのですから。何もかもを客観視すること、客観視を客観的に捉え、その捉え方をさらに客観的に観察する。その果てには、私自身は存在しているのでしょうか?きっと身を潜めてさえいないでしょう。具体的に何が不幸なのか、悲劇なのか、嘆きなのか、そのようなことを問われることが私にとっての一番の不幸となり得るとも言えます。

 

 今日はよくぞ一日仕事をやり通せたと思う。何もかも投げ出してやろうかと思いながらキーボードをタイピングした。罵声とタイプ音だけが部屋中に飛び交う中、揺れる身体に呼応するように、ディスプレイも上下を行き来していた。マウスがいつも通りの動きをしてくれない。ミスクリック、ミスクリック、ダブルクリック、[ctrl+z]で私の人生をやり直しする。もしくは[alt+F4]でのシャットダウンを希望します。何もかもが上手くいかない。上手くいかなくてもいい、人生が並みに進みさえしてくれればそれでいい。それなのに、どうしてそう下手を進みたがるんだろう。何もかもが上手くはいかない。ちなみに、仕事で何かあったという訳ではない。仕事で精神をすり減らす程、現在の仕事に対して熱を有してはいないのです。これは極めて個人的な、内面上での争いなんです。

 

 これは自分と自分との戦争。わたしと僕との戦争であり、結論をいえば全て自分自身が悪い。けれでも、自分自身が悪いとなれば、わたしも悪くて僕も悪くなる。何もかもが悪として扱われる世界で秩序は機能しないでしょう。正しい人間など存在しないのではないでしょうか。それぞれの中に個々の正義が存在するだけなんだと思うのです。正しさというのは倫理や多数決の結果論であって、立場や時代が違えば、それが悪としてカテゴライズされることもあるでしょう。わたしの中にある正義、僕の中にある正義がぶつかり合う、その衝撃を心の中で処理しきれないから余波が苦しさとなって表出する。精神性の乖離、いずれも正しくは聞こえる、いずれも馬鹿らしい暴論のようにも聞こえる。仲良くしてくれればいいのにと思うんです。「ネガティブな側面よりも、ポジティブな側面に目を向けなさい」わかっています、言われずとも。ポジティブな側面に心を配るようにしている。しかしながら、既にわたしの心眼自体がネガティブに侵されている為、何を視ても濁りが生じてしまうんです。「ネガティブな時にはネガティブな言葉が必要だ」とカフカの編訳者は言いました。だからこそ、わたしはネガティブな文章を書き綴っているのです。

 

 ネズミの心臓と同じぐらいに早く刻む高速心拍ビートを身体中で感じ、落ち着け落ち着け大丈夫きっと大丈夫と自分自身に言い聞かせながら、ベッドに蹲る昼下がりの何ともいえない心地の悪さに恐れをなすことしか出来ない。エアコンで捏造された室内の温度が肌に突き刺さるようで痛い。実家のような安心感、ただそれを想像することしか出来ないでいた。ただいまといって、おかえりと言われたかった。今日起きた出来事を面白おかしく話したかった。風呂上りのビールを一緒に飲みたかった。”鬱陶しい”そう思える程度に近い距離で体温を感じてみたかった。偽りの、全てが偽りで何もかもが無機質でした。

 

 拙い足取りでセブンイレブンに駆け込み、ストロングゼロとロックアイスをレジへと運ぶ。「レジ袋お願いします」「現金で支払います」無人レジに向かって話しかける。もちろんのこと返答は無い。その当たり前の事象で世界の歪みが少し矯正されるような気がするから。まだ想像通りに、思い通りになることがあるのだと僕は安堵する。帰宅と同時に開栓したストロングゼロは瞬く間にもぬけの殻と化した。正確に言えば、わたしの中でまだ生きている、そして数時間後には死ぬ。ストロング缶を視界から消し去り、レモンサワーを自作するべく誕生日に友人から頂いた気に入りのタンブラーを棚から取り出す(我が家のコップ類の半分は、友人からいただいたグラスで構成されています)。いつも通りの手順、目を瞑りながらでも感覚で作ることができるほどに。まず初めに、コップへ並々の氷を投入する。その段階でグラスの3分の1程が欠けた、大きく割れてしまったのだった。こんな日に限って、今年一番の報復が訪れるとは。何のためらいもなく泣いてしまいたい。グラスと同時にわたしの心も欠けてしまった。これでレモンサワーが飲めなくなってしまったので、タンブラーを新調せねばならない。何よりも新規の買い物が苦手なわたしは、それだけで足枷が付けられた様な気がしてしまうのでした。

 

 呻き声だけが室内に響き渡る

 嗚呼、嘆かわしい限りでございます