[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.028 恋文

 

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体などくれてやるから君の持つ愛と名の付く全てをよこせ

 

発芽 / 岡崎裕美子

 

 

 性懲りもなく生きてました。元気かどうかは写真から汲み取って下さい。やっと少しは活力が湧いてきたので、今日は恋慕についてリハビリがてら書き綴ります。

 

 ご存じの方がほとんどかと思われますが、わたしは現在未婚です。恋人はおろか恋情を抱いている異性もいません。その状態が数年ほど続いており、一人の生活にすっかり慣れ切ってしまっている現状です。もう、恋人がいる感覚がどういったものだったのか忘れてしまった。一人はひとりで気楽だし心地好いので気に入っているのだけれど、そんな自分でも、時折すごく孤独感に圧迫される瞬間があります。夕焼けに垣間見える郷愁のような、もうTシャツだけでは少し肌寒くなってきた気温のような、飲み会後に歩む帰路のような。それらを要約すると、淋しいのです。とても淋しい、そんな瞬間があります。それは単純ではなく、複雑な構造をしている淋しさで。そんな時には誰かに会いたくなるし、目を見て言葉を変わしたくなるし、体温を感じたくなる。寂しさ故に好きでもない相手を抱いたり抱かれたり情事に及んでしまう心情が、今となってはとても理解することが出来る。「いやいや、それってただヤリたいだけなんじゃないの?」「性欲が心を動かしているだけでしょ?」なんて声が聞こえてきますが、これは決して性欲ではないんです。別に、望まないならば性交はなくてもいい、ただ傍にいてほしいだけ。なんていうと、そういいながらも最終的に情事を完成させるプレイボーイが発する常套句のように聞こえるかもしれないけれど、本当に違うんですよ。体温を求める瞬間が突然来訪する。それ以上でもそれ以下でもありませんよ。

 

 これは私だけかもしれませんが、齢を重ねるにつれて淋しさを感じる瞬間がより多くを占めるようになってきている。このまま進むと、淋しさに生活を支配されるのではないか、そんな予期不安が無くもありません。だからといって恋仲を求める訳ではなく、一切の焦りもないことが自分自身でも不思議です。「まぁ、そんなもん巡り合わせだからなぁ」程度の考えで呼吸を繰り返していたら数年が経過していました。「このままいくと孤独死もあるな」みたいな一縷の望みが、もはや一縷ではなくなろうとしています。

 

 自分が草食系なだけで、もっとたくさんの人と出会った方がいいのだろうか、出会いの場へ足を運ぶべきなのだろうか、そんなことを時々考えます。友人からマッチングアプリを勧められることがあるけれど、自分は何よりも電子上での他者とのやり取りが苦手なんです。それが対面すらしたことがない人間となると尚更です。正直に申し上げると、そのやり取りが”面倒くさい”。そしてもう一つ、マッチングアプリとか婚活パーティーとか、そういった類のサービスで出会う方は、あくまで男女関係を前提として出会うじゃないですか?その雰囲気に圧倒されてしまう部分があって、上手くいえないけれどガツガツしているというか、本能としての獣性を感じてしまう部分があって尻込みしてしまう。勘違いしないでいただきたいのですが、私はそういったサービスを否定している訳ではありません。多様化する時代に合った、一種の選択肢なのだと思っています。マッチングアプリを利用して幸せになっている方を私は数人知っていますし、勿論それは素晴らしいことで、双方に合っていたやり方なのだと思います。ただ、私の場合は、其れ等は選択肢として機能しないのです。

 

 こんなことをいっているから駄目なのかもしれない。高望みしすぎているのかもしれない。そもそも、これが「駄目」なことなのだろうか?。なんてことを考えていると、頭中がグルグルとメリーゴーランドを形成します。別に恋人がいなくてもいいよね、一人でも楽しいよねって思うけれど、それでも淋しさがその概念を潰しにかかってくる瞬間がある。人生って、生活って複雑です。喜怒哀楽が入り乱れているのが人間で、そんなことは理解っているつもりだけれど、どうしても”哀”に振り回されてしまう。そんな時でも”自分”、”自分”、”自分”、”自分”、と視野狭窄な”私”がいて、辺りを見渡しても”君”はどこにもいない。当たり前だ、そんな状態で何が見えるというのだろうか。こんな状態で君を支えることなどできるはずがないでしょう。

 

 このままずっと、一人きりかもしれない、だとしてもそれはそれでいいじゃないか。そう思ってはいるけれど、一人きりと一人きりで寄り添い合い夜を明かしたいと思う事もあるんです。そして今夜は、そのような夜になりそうです。

 

 セックスって気持ち良いです。好きな人とするセックスはもっと気持ち良いです。生を肯定されているような感覚に陥ります。ただそれだけ、その感覚だけを、現在も身体が覚えているようです。