[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.041 私たちが思う以上に、世界は適当な造形をしている

 

 「ごきげんよう

 

 随分と長い間文章を書いていなかった気がします。書きたいことはたくさん頭に浮かんでくるのだけれど、それを文字に起こす気力が涸れきっていました。「もう疲れた、あぁもういいや」とそんな感じで人生をどこか遠くへ放り投げてしまいたかった。しかし、私の手に負えない人生、その重量を軽々と放り投げられるほど、私の心は快活ではない。それならば、せめて自分の見えない場所へと追いやりたい、いまは視界から消し去りたい。そう思い立ち、自分の中に存在している大切なこと、重要なこと、それら全てから目を背けるように日々を繰り返していた。

 

 これは現実逃避とは異なるもので、それは謂わば「”向き合わないこと”に対して”向き合うこと”」といった具合です。最低限の仕事をこなして、食べて、飲んで、寝る。暇な時間は動画や映画などのコンテンツをただ無心で鑑賞しながら、酒を喉に流し込む。脳と眼球と肝臓を傷めつけながらも淡々と生活を繰り返す。思考停止、何も考えないようにすることは不可能だから、眼前の”作業”を黙々と繰り返す。生活全般をルーティン化することだけが、オーバーヒートした自身の脳を一時停止させることができる唯一の方法であって、それを続けることで感情が晴れることはないけれど、今以上に感情が落ち込むこともありませんでした。

 

 ルーティン化された退廃的な生活、世界から目を背け続ける日々、そんなことをしばらく続けていると、ふと寂しくなる瞬間が訪れる。「この寂しさはきっと冬のせいだろう」とありきたりなことを思うのだけれど、その理由がいかなるものであれ、その”寂しさ”は容赦なくわたしの心を抉り続ける。見ないようにしていた世界を、少しばかり覗いてみたくなった。覗いてみると、そこには暖色の光達が手招きをしていて、わたしはそこに飛び込みたくなった。「でも、こんな状態で飛び込んで大丈夫かな」といった不安要素が私の意志をそぎ落としにかかるが、その声をすべてかき消してしまうほどに、私はそこに差し込める光を切望していた。

 

 

 わたしには、14歳から付き合いが続いている3人の同級生がいます。友達というよりは仲間、仲間というよりは戦友、そしてそれらを総称すると家族になる。なんてことを勝手に思っている訳ですが、かれこれ10年来の付き合いになる。「10年以上も関係が続いているだなんて、なんとも不思議な感じがする」とアルコールの中で思い耽ることがあるのですが、若かりし頃の自分をすべて知られているという事実に、時折頬を赤らめる気持ちになることがあります。彼らの親御さんからも可愛がっていただいていて、本当恵まれているなと思う(母君から名前を呼ばれるだけで実はちょっぴり嬉しかったりする)。今でも年に一度は自分を含む4人で集まっていて、決して集まる頻度が多い訳ではないけれど、逆にその距離感が心地良い部分もあって好ましい。

 昨日はそんな4人で忘年会をした。会うと近況報告をしたり、仕事とか結婚とかの話しになるけれど、総合すると自分は下ネタしか発していない気がする。いや、これは気がするだけではなく、事実だ。彼らに会うと気が和らぐのだろうか、とにかくジョークや下ネタばかりを連発してしまう。彼らに真実を話す必要はない。何故ならば、言葉はなくてもわたしの深い部分を理解しているからだ。少し前に「なぜここまで関係が続いているのか」ということについて考えてみたことがあった。たどり着いた答えが、”私が聞かれて嫌だと思うことを聞かないでいてくれる”であった。自分が聞いてほしいと思っていることを質問してくれる人よりも、自分が聞かないでほしいことに蓋をしてくれる人に魅力を感じる。それを彼らが意識的、無意識的、直感的、どの様にやっているのかは解らないけれど、自分としてはただ有り難い限りだ。

 昔からそう思う、人間への観察力が鋭く、物事の客観力が卓越している、そして行動力がある。おまけに現在に至っては仕事もバリバリこなしていて、3人それぞれに特技がある。こっそりと誰にも聞こえないように心の中で「すげぇな」と呟いたりする。同時に敵わないなぁとも思う。4人で集まっている時は、まるでわたしが子供のように好き勝手暴れ散らかしている姿を、やや呆れ気味で見守ってくれているような、そんな空気感がある。基本的にエゴイストな私がここまで関係性を深めることを続けられるのは、彼らの多大な包容力のおかげなのだろう。そして、わたしはそんな3人が”すごい”ということを理解している。どこがどんな風に”すごい”のか、説明することは出来るけれど、10年分の思いが文字数として現れることになる為、ここでは割愛させていただきます。

 

 会う度にいつも思う、「このまま深い夜に包まれていたい」。そして、深い夜に浮かぶ”3つの光”を頼りに、これからも進んでいきたい。あと何度、その光に包まれることが出来るのだろうか。わたしはその光に対して何が出来るのだろうか。

 

 

光、それらへの最愛と感謝をここに記す