[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.048 どこまでも落下する点眼薬

 

 新年早々、落ちてました。

 

 寸前まで何事もなくご機嫌で歩いていたのに、次の瞬間には視界が真っ暗になっている。穴に落ちている。見渡す限りの暗闇に覆われ、天から射す唯一の光も遠のいていく。それでもずっと落ち続ける。いつまでも、どこまでも。

 

 やっと底が見えてきた、けれど上手く着地することは出来なかった。それでもこれ以上落ちることはない。そんな感じ。あとは上がっていくだけだけど、もうしばらくはこのままでもいいかなと思っている自分がいて。それって、変われないということであって、変わらないということでもある。人生は主観的な物語、ならば自分は”変わらない”という選択肢を手に取りたい。それでいいし、それがいい。

 

 心が猫背気味になっている時、猫背が加速して最早二足歩行の亀みたいになっている時、そんな時には「めっちゃ書ける」か「全く書けない」かの二極であることが多い。今回は「全く書けない」パターンに陥って、書くことは疎か読むことすらほとんどしていない。そんな時でも”思考を巡らせる”ことはやめられなくて、寧ろその思考巡りこそがそもそもの元凶であったりする。

 

そこで今日は、自分の頭の中の一部分を文字に起こしてみようと思う。

 


 

・食事

 一人で食べるご飯って、食事っていうよりも”餌”といった感じ。餌っていうよりも”栄養摂取”といった感じ。栄養摂取というよりも”孤独感の増強”といった感じ。それなのにとどまることを知らぬこの食欲が心底憎い。

 

 

サブスクリプション

 居酒屋のサブスクが出来ないかしら。家でしょぼくれながらご飯を食べるより、外で一人を味わいながらお酒を飲みたい。同じ孤独でも、それは全く異なる孤独であって。お酒を飲んだらあまりご飯を食べなくて済む性分だから、それこそ餌の奴隷から卒業することが出来る。「もうお酒さえあればいいや」とは思い切ることが出来ない自分がそこそこ憎い。例え一人だったとしても少しばかりの体温を感じられる、そんな居酒屋が好きです。何万円でも払います、アルコールと少しの体温に投資したいのです。居酒屋のサブスクが出来ないかしら。

 

 

 ・体温検査

 コロナウイルスが世に蔓延るようになり、あらゆるお店での入店時に体温検査が行われるようになった。大概が”おでこ”だったり”手首”に検温器をかざして当人の体温が測定される。この手首にかざすタイプの検温器の場合、袖を捲り上げた時に深く刻まれたリストカット痕が表出したら店員はどんな表情を浮かべるのだろう。恐らく、見て見ぬフリをするだろうし、「はい、ご協力ありがとうございま~す」みたいに軽薄な感じで店内へと誘導されるのだろう。「そもそも、利き手と反対側を切りつける場合が多いと思うし、利き手側を見せればいいか。」というしょうもない回答が駆けつけるように自分の内部から発せられた。人間は傷にとても敏感だ。それは相手に対して、そして自分に対しても。僕から言わせれば傷とか過去とかどうでもいい。堂々としてろ、生きてるだけで其方は美しい。勝手な妄想の延長上で思わずアシタカになってしまう自分に対して、あらゆる角度から辟易してしまう。

 

 

 ・家

 自分の家よりも、他人の家の方が心地が良い。リラックス&リラックス&リラックス。当の住人よりもくつろいでしまう。どうして怒られないか不思議だけど、きっとそれは住人の優しさなのだろう。家というのは、当人の個性や魅力が存分に現れる空間であって、だからこそ僕は人様の家が好きだ。それに比べると僕は自宅があまり好きではない。自分にとって自宅とは「使い勝手のいいビジネスホテル」みたいな感覚で、逆に人様の家は「実家」のような安心感が沸き上がることもある。ビジネスホテルに宿泊すると、「使い勝手の悪い&面積が随分と狭めな自宅」といった感覚が顔を出す。”家”って一体何なのだろう。”自宅”って一体何なのだろう。当たり前のことを改めて深く考えていくと時折たがが外れることがあって、瞬間的に脳内が混乱する。何を持って家と呼ぶのか、何を持って”自分の家”と呼ぶのか。ビジネスホテル寄りの我が家、実家寄りの他人の家。もうよくわからん。

 

 ・抱負

 新年が明けてすぐに仕事がリモートワークへと切り替わった。それに伴い、本来は一人一人面前で発表する予定だった今年の抱負をテキストで投稿することになった。「仕事」と「プライベート」でそれぞれ書き込む必要があり、スクリーンの向こう側には抱負など全く持ち合わせていない自分がいた。仕事もプライベートも一向にやる気がない。「まぁいいや」と放置している間に期限がそこまで迫っていた。とりあえず、「仕事」はありきたりなことを記入しておいた。残る「プライベート」も適当に書いてよかったけれど、だからといって全くの虚偽を書くのも癪だと思った。「嘘の中に真実を2割ほど混ぜると良い」といった話を耳にしたことがあったので、今回はそれを実践してみた。

 

 以下、実際に投稿した文章です。

 

「プライベート」

自分の中に根付いた固定観念、世に蔓延る既成概念の部分的破壊。

 

自己の再構築及び拡張に繋がる行動及び情報を選別して生活を送る。

 

 どの部分が真実だかわかりますか?。ストロングゼロでドロドロに溶けた脳で書き記した午前0時の風呂上り。こうして見返してみると酷いな。「”及び”を乱用し過ぎ、中二病の集大成みたいな文体」と思ったけど、このブログでもこんな感じなのかもしれない。

 

 適当に投稿したこの一文が、後日社員一同が閲覧できるプラットフォームで公開されると知らされた時には笑ってしまった。社内で漢字使用数が一番多い自信、一番中二病を拗らせている自信が、私にはあります。現場からは以上ですよ。

 


 

 お金を使わなくても、世の中には面白いことがたくさん転がっているなーって思うんです。家の近所を歩くだけでも色々と見つかる。大事なのは物事をどう解釈するかであって、それ以上でもそれ以下でもない。そうやって、自分の中に在る辛苦のこともケタケタ笑えるようになればいいのにと思います。

 

ね。