[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0104 一曲リピート

 

 わたしは音楽が好きで、日中垂れ流していることが多い。最近は便利になったもので、Siriに自分の好きな楽曲名を伝えるだけで鼓膜にメロディーが入ってくる。空間を音楽で支配することが出来る。ワイヤレスイヤホンを使えば、片耳だけ装着して仕事中にも聴くことだって可能だ(これは業種に依るだろうけど)。

 時代は音楽に満たされている、ほぼ無限に等しい数の楽曲が存在している。自らの音を鳴り響かせることを夢見て、今か今かと音楽データはそこに佇む。

 

 

 インターネットをサーフィンしていると、思いがけないタイミングで好みの音楽に出会うことがある。自分は主にYOUTUBEをよく利用していて、Apple MusicやSpotify等の音楽配信サービスと提携していないアーティストの音楽も見つけることが出来るので、とても助かっている。

 

 ちょうど一年前の夏、表では蝉が絶叫する中、負けずと自分自身も泣き叫んでいた時のこと。

 

 もう自分でも呆れるほどに世界に対して絶望していた。何が起きてそうなったのか、全く覚えていない。どうせキッカケは些細なことだろう。

 ただ、部屋で項垂れていた。何もする気になれないので、何もしないことを努めていた。早く今日という一日が終わってほしかった。

 

 それでも中々時間は過ぎ去ってくれない。仕方なく、手元にあったiPadYOUTUBEを開いた。"あなたへのおすすめ"をひたすらに消費していく。気にいらなければスワイプしておすすめ一覧を更新する。自分自身が落ち込んでいる時には、より深くまで沈んでゆける作品を望む。

 人は作品に触れることによって、自身の中にある同一の性質を持った感情を払拭することが出来るらしい。ネガティブな作品に触れることによって、自分自身の中にある悲しみを払拭する。この現象を"カタルシス(浄化)"と呼ぶらしいことを書物から学んだ。

 

 圧倒的なカタルシスを求めていたが、どれもこれも現在の自分には物足りなく感じた。

 もう諦めてiPadを投げ出そうか迷っていた時、一つの動画が目に飛び込んできた。

 

 

 

 とても長くなってしまうのでアーティストに関する詳細は省かせてもらうが、簡潔に説明すると、「ゲスト(達瑯さん/所属バンド:MUCC)を招き、自分達(来夢さん/所属バンド:キズ)の曲を一発撮りで共に歌う」といった感じ。

 

 気がつけば動画が終わっていた。ただ夢中で世界にのめり込んでいた。

 集中してメロディーラインを鼓膜へ取り入れる為にもう一度再生した、最高。

 次はお二人の表情を観察する為にもう一度再生する、これも最高。

 最後に歌詞を脳内で展開する為にトドメの再生ボタンを押す、

 

 「どうやったらこんな歌詞書けるんや…」

 

  自分自身が、すごい勢いで満たされていく。自分の心が求めていた何もかもが動画に、音楽に集結しているような気がした。

 その後も止まることを知らずに何度も何度も再生を繰り返した。聴けば聴くほど、見れば見るほど、沈んだ心が軽くなる。

 

 気がついた時には一日が終わっていた。

 

 こうやって、狂ったように同じ曲を何度も何度も繰り返し聴くことが時々あって。今回書きながら気付いたけど、繰り返し聴きたくなる曲っていうのは、何らかの形で自分が"救われた"と感じたことがある楽曲がほとんどだった。

 

 上述した動画は一年経過した現在でもほとんど毎日再生していて、めちゃくちゃ落ち込んでる時にも、テンションを上げたい時にも、上がり過ぎてるのでちょっと抑えたい時にも、どんな場面でも私を落ち着かせてくれる、生活に欠かせない存在になってしまった。

(何らかの事情で動画が削除されてしまったらどうしよう、考えるだけで恐ろしい)

 

 

 他には、歌ってみたを投稿されている方に心臓を鷲掴みされる場合もあるし、好きなアーティストの新曲PVが公開されれば見事に眼球を愛撫される。素敵な作品に出会えた時には、音楽の偉大さを思い知る。その一曲に、救われる人がいる。その一曲に感銘を受け、音楽を始める人だっている。

 私は、アーティスト達に尊敬の念を抱く。そして同時に、ほんの少しごく僅かだけ嫉妬してしまう。羨望の眼差しでジリジリと対象者を焼いてしまう。

 

 形は違えど、いつか自分もそうなりたい、なんてね。

 

 

 世界に絶望していたからこそ、この動画に出会うことが出来た。どうしようも無かった自分自身に感謝したい。

 何よりも、ボーカルのお二方は勿論のこと、制作スタッフの方達にも最大級の感謝を送りたい。素敵な作品を届けていただきありがとうございます。

 

 

 最後に、同じ曲を何度も繰り返し聴いてしまう人は、鬱病に陥りやすいらしい。

 

 確率論に過ぎないのかもしれないけれど

 そういうことなんですよね、結局のところ。