[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0110 美点に触れる

 

 美しさを感じるものが好きだ。美しい書物、美しい音楽、美しい香り、美しい人。そんな美しさ達を渇望している自分がいて、そっと手を添えていたいという思いを密かに抱いている。

 

 美しいって一体何なのだろうか。整っていて枠に納まっていること?

 

 そんな訳がない、歪な美しさはあらゆる分野で評価されている。「何故、美しいと思うのか」の”何故”の部分を簡単に説明出来てしまう程度の”美しさ”なら、それは自分が求めている美点とはまた異なる。説明出来ないほどの圧倒的な美、そして、その存在感。語彙が全て瓦解してしまうような、一時的な言葉の不在。そんな美しさをわたしは常々求めている。

 

 美しさに触れている時は、その美的概念が自分にまで伝染したような錯覚に陥る。自分までもが美しくなったような、脳が都合の良い思い込みをする。決してそんなことは有り得ないのだけど、それを理解しているつもりでも幾度となく錯覚は繰り返される。

 誰に迷惑をかけるでもないし、いっそのこと美しさを吸収するつもりで、錯覚に浸るよう意識を向ける。何とも言えない、自分の言葉では言い表すことが出来ない心地良さがある。一種のトランス状態というか、自分の精神が心とは違う場所に飛んでいってしまったような、そんな解放感がたまらない。

 

 

 先日、友人の勧めでInstagramを再開した。

 

 所謂「インスタ映え~」みたいなイメージが勝手に染み付いていた為、これまでSNSの中でも特にInstagramには飲み込まれないよう距離を取っていた。別に”インスタ映え”を否定するつもりはないけれど、そういう外観だけを着飾ればOKみたいな精神が自分には受け入れられない。自分が表現したいのはもっと深い部分で、どちらかと言えば、外観はおまけ程度のものだと考えている。

 

 ちょうどその時、気楽に文章を書ける場所を求めていた。ブログはかなりの時間と精神力を費やす必要があって、ちょっと息抜きにほろ酔い状態で短文を投稿できる場所が欲しかった。

 先ずはTwitterに手を出してみたけど、何か美しさを感じないし、広告やプロモーションツイートばかりが目に入ってくる。毎分毎秒吐き出されるツイートはどこか大喜利を彷彿とさせる部分があって、何でこのツイートがこんなにも評価されているんですか?と真面目に質問したいぐらい自分には理解が難しい世界だった。

 

 周囲を見渡せばフォロワー1000人を優に超える方達がちらほらいる。参考程度にその方達のTwitterアカウントを覗いてみても、何が良いのかさっぱりわからない。どこにも美しさを感じない。というか、Twitterに美しさを求めるのっておかしい?。まぁいいやそんなことはどうでもよくて、兎にも角にも自分には何一つとして刺さらなかった。自分が目指す場所はここではない、ということだけが唯一の収穫だった。

 

 自分はこれまで、LINEのタイムライン機能やストーリー機能によく文章を投稿していた。基本的に、自分の友達だけに投稿が表示される。ブログを始めるずっと前から利用していて、自分はその機能が好きだった。賛否両論なところもあったけど、どちらにせよ意見をもらえることが嬉しかった。当時は狭い範囲だったけど、文章を公開する楽しさを知った。

 

 そんなLINEの投稿を好きだと言ってくれていたのが旧友で、その延長線上でInstagramを勧めてくれた。

 

 物は試しだと決心して、アカウントを開設した。というか既に開設してあった動物死骸専用のアカウントにそのまま情報を上塗りした。そして、そのままの流れで文章を投稿してみた。

 

 まさか自分がInstagramで文章を投稿する未来が訪れると思わなかった。少しだけ新たな一歩を踏み出せたような、そんな気がした。

 

 こんな得体の知れないアカウントでも、”いいね”を押してもらえることに驚いた。そして、利用して初めて気が付いたけど、InstagramとLINEのタイムライン機能はとても似ている。Instagramが上位互換なだけであって、自分にとっては慣れ親しんだ感覚があった。歪み切った先入観からこれまで避け続けてきたけれど、もっと早くやればよかったと思った。

 

 わたくしこそがインスタ映えです、みたいな方はあまり見受けられず、良い意味で予想を裏切られた。"いいね"を押してくださる方は、顔は見えずとも画面越しから落ち着いた雰囲気が感じられる方達ばかりだった。懸念は見事に払拭され、大きな安堵がわたしを包み込んだ。

 

 あくまで気分が乗った時にしか書かない為、投稿頻度は少ないけれど、フォローしている方々の投稿をただ眺めているだけでも楽しい。美しい人が、美しい写真と、美しい文章を投稿している。非常にシンプルである、ただそれだけで、私の眼球が幸せになる。心がどこかへトリップする。

 

 

 美しさに触れたいと思う事は、素晴らしいことだ

 

 それでも私は、その美しさに飲み込まれないよう心掛けなければならない

 

 いつまでも、わたしが私として在り続ける為に。