[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0130 小洒落た、夜

 

 先日、知人が働いているBARにお邪魔させていただいた。

 

 マスターというよりもママさん?はとても気さくな方で、話の聞き方や振り方、他のお客様の巻き込み方等、本当に上手でいらっしゃった。うん、さすが会話のプロだなという感じ。比べることさえ烏滸がましいけれど、自分の未熟さを痛感させられた。「傾聴」のお手本が目の前で言葉を連ねている。まだまだこれから成長していけるであろう自分自身に対して、ほんの少しだけ胸が躍った。

 

 世の中にはまだまだ知らない世界が広がっていることを体感した夜だった。家の中に閉じこもっている場合ではない、わたし達は世界を知る必要がある。どうしようもない夜が、わたし達を待っている。

 

 その夜はわたしを含めた計5人の男女が店内に混在していた。何故かずっと違和感があった。わたし以外の皆さんは足繫く店へ通う常連様とのこと(知人は働いているし)。その中でわたしだけが唯一の新規客、だからといってアウェー感を抱いている訳ではなかった。寧ろ居心地は抜群に良かったし、めちゃくちゃに脱力していた。

 

 ずっと考えて、会話を進めていく内に理解した。

 

 店内に存在するわたし以外の人間すべてが、アパレルや化粧品会社等の勤務経験があった。そうだ、違和感が違和感で無くなった時、わたしの眼球に映る世界がその色彩を変えてゆく。

 

 「眩しいくらいに空間が小洒落ている」

 

 もちろん、店内の照明は最低限の明度に絞られているし、物理的に眩しい訳ではない。何というか、空間がとても洗練されていて直視することが憚られる感じがある。一言でいえば、皆さんそれぞれがお洒落であった。

 

 一人の男性は、よくわからないネタTシャツにジーンズといったシンプルな組み合わせ、その上でしっかりとしたシルバーの指輪を小指に嵌めている。目元をすっぽりと覆う黒縁眼鏡は、素人でも一目見ただけで上質な物だと判別出来るほどに、控えめながらも存在感を放っている。何故そのTシャツでお洒落になれるのか、そんな疑問ばかりが脳内を右往左往する。

 

 もう一人の男性も白Tシャツにジーンズという似たような格好をしていたが、体型が違うこともあって、全く異なる個性を感じられた。お二方とも寡黙であったが、そこがまた粋である。”お洒落兄弟”、何の捻りもない単調な響きが、頭の中に浮かび上がった。

 

 ママさんは、ロングのワンピースに、手入れされた長い髪をハーフアップにしていた。ピアス、指輪、ブレスレット、たくさんのアクセサリーを身に纏われていたが、ごちゃごちゃとした印象は寸分も感じられない。恐らく、すべて同じ色味で統一されているからだろう。「産まれた瞬間から身につけていました」と言わんばかりに、それらの装飾品は彼女の身体に上手く溶け込んでいた。波打つ髪と揺れるピアスに惹きつけられて、日夜様々な男性客がこの場所を訪れているのだな。なんて馬鹿げたことを、スコッチを飲みながら考えていた。

 

 知人は言うまでもなくお洒落であった。本当に自分のことがよくわかっている。自分に似合う物を知っているということは、一つの大きな武器として効果を発揮する。生地や繊維のことに関しても詳しいから、服で困った時には彼女に相談する。洗い方なんかも相談するし、サイズ感や合わせ方も相談する。こういう頼れるお洒落さんが側にいてくれるだけで、本当に救われる。

 

  当のわたしはと言えば、黒いYシャツ、黒いスキニーパンツ、黒いスタンスミス、シルバーのリングピアスを両耳に携え、何の装飾も施されていないシルバーの指輪に右手薬指を刺している。なんだろう、彼彼女たちとは全然違うように感じる。洒落てないというか、無難というか。全身黒にシルバーを散りばめることが好きで、「夜空に浮かぶ星みたいかしら」なんて思っているんだけど、店内では全く輝きを放っていなかった。周囲の小洒落た生物たちが、眩し過ぎるんだ。

 

 ママさんに問うた。

 

 「どういう人をお洒落だと思いますか?」

 

 「わたしが思うに、姿勢の良さじゃない?」

 

 それを聞いた瞬間、緩んでいた背筋に一本の堅い針金がぶっ刺さった気がした。服装やアクセサリーなどではなく、”姿勢”なのか。そのワードセンスにも幾らかの小洒落が垣間見えて面食らってしまう。

 

 自分事ながら恐縮ではございますが、姿勢だけは褒めてもらえることが多い。元々極度の猫背だったけど、ある日鏡に映る自分を見た時に「これではいけない」と思った。そこから独学で姿勢について学び始め、日々の生活に落とし込んでいった。そして、気が付いた時には染みついていたはずの猫背は消滅していた。

 

 以前、知人とも似たような話しをしていた。お洒落に関してではなかったけど、姿勢は人の印象を大きく左右するということについて。調子が悪そうにしている人は、大抵の場合姿勢が悪くなっていることが多い。背中が丸まれば丸まるほどに、気道が狭くなってしまうから呼吸が浅くなる。呼吸が浅くなると、交感神経が優位になる。交感神経が優位になると、焦りや苛立ちを覚える。そんな悪循環に陥ってしまうから、調子が悪い時ほど姿勢を意識することが大事だと思う。そして、姿勢を正すだけで周囲は勝手に好印象を抱いてくれる。

 

 お洒落になりたいとは思うけれど、服装や装飾品ばかりに頼るのではなくて、体型、姿勢、所作などを洗練させたい。服やアクセサリーはあくまでそれを引き立たせるものであって、主役ではない。身体一つあれば魅せることが出来る、そんな人間になりたいと、わたしは思い馳せるのです。

 

 

 「ごちそうさまでした、また来ます。」

 

 背筋を伸ばしながら、わたし達は夜道を歩いた。