[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0198 没、個性

 

 「個性捨てたら、死んでるのと同じだよ」

 

 夜な夜な流行りのアニメに更け込んでいたら、お気に入りのキャラクターがポツリと発した一言に胸を強く打たれた。油断した、完全に油断していた。ほんわかのほほん系だと思い込み阿保面を浮かべながらストロングを啜っていた私は、思わず全てを吹き出してしまいそうになった。気が付けば口から零れていたのは酒ではなく「すげぇ」という無形の一言で良かった。

 

 普段、無意識のうちに自分が抱いている想いを、”言葉”として外部から受け取った瞬間の頭が弾けるような感覚が好きだ。それは肉声でも、印字された文字でも、作品を通して発せられる音でも、それぞれに異なる弾け方の味わいがあって、わたしだけではなかったんだ!という喜びと安堵と少しの悲しみが絶妙に入り混じる。外部の卓越した言語化能力に対しての羨望と、自身との比較による絶望のスパイスがそこに加わり、深く入り乱れる。

 

 「落ち込まなくてもいいじゃない」と言われても落下する感情を物理的に止めるのは難しいし、「何でそんな風にしか考えられないの?」と問われても、逆に”何でそんな風にしか考えられないの?”なんて言葉の羅列をこの人はサラッと言えてしまうのだろう、とわたしは考えてしまう。世の中にはポジティブに生きることを推奨した指南書がたくさん存在しているけれど、その内容のほとんどが自分の中では溶け込まなくて、己のネガティブが推奨的ポジティブを超越してしまっている。要するに無理なものは無理、合わないものを無理に取り入れようとするから疲れてしまう。

 

でもいつまでもこんな暗い文章を書き続けていたら誰も読んでくれなくなりそうだ。それはそれで仕方がないかと割り切れず、弱い私が大きく落胆するだろうし、末永く憂鬱になるだろうな。それでもやっぱり、自分の意に反して明るい文章なんて書けないわ。

 

N.0197 失われた涙腺 

 

 自己を捻じ曲げて生きるなんて無理だ。明るいことで人望を集めたり、優しくしてもらえたりするかもしれない。現在よりも少しは生きやすくなるかもしれない。物事を簡潔に捉えて対処出来るようになるかもしれない。それでも、それは沈み切った性根を無視してまで頑張ることなのだろうか。悲鳴が聞こえないフリをしてまで、一生懸命になることなのだろうか。偽りが凄い勢いで自己を侵食していく。その過程で失われた"個性"を愛している誰かの想いは行き場を無くし、また同じように消滅する。

 

 僕は間違っていなかった。歪んだ性根のまま、美しいと思える感性のまま、生きている。素敵という言葉も、気持ち悪いという非難も、何一つとして間違っていなかった。それと同時に、最初から正しさなど存在しなかった。わたしの中に存在する個性や言葉が、あなたにとって一輪の花として作用するのなら、ドブみたいなこの世の中も捨てたもんじゃないと思えるよ。

 

 僕はわたしのままで、花を咲かせたい

 変えることなど出来ないのだから。