[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0217 デュワーズの涙色

 

 長年にわたり通い続けていたBARが閉店するらしい。

 

 二十歳を過ぎてある程度お酒が飲めるようになってから、ちょっと背伸びをして店の扉を叩いた過去がつい先日のようだ。次第にバーテンダーとも顔見知りになり、互いの名前を呼び合うようになって、店に行くだけで笑顔を分け与えてくれた。スタッフの入れ替わりで大好きだった人との別れを何度か経験させていただいて、感情の使い方をここで学ばせてもらった気がする。そんな一つの帰れる居場所が、いま静かに消え去ろうとしている。

 

 様々な出会いがあった、時には見ず知らずの人とも酒を交えれば会話が弾むことがある。数少ない友人の一人はこの空間で知り合ったし、恋仲になった人もいた。出会いの数だけ別れがあるのが人生だ。だとしても、空間の消失は自分にとってちょっぴり悲しい。何とも言えず遣る瀬無い気持ちで、だからといって「もっと通いつめればよかった」とは思わないでいる。もう既に、自分自身にも限界を感じていたんだ。

 

 誰かと一緒に行くよりも、一人でカウンターに座っている時間の方が長かったなぁ。それはバーテンダーが話してくれるからってのもあるんだけど、無性に酒を飲みたくなるのは大抵の場合一人きりだ。楽しいお酒ではなく、乱暴なお酒の飲み方を心が身体が脳味噌が欲している。そういう時にはせめて誰かの温もりを感じたいから、Barに寄る。ありがとうご馳走様でしたまた来るねのテンプレートをカウンターに置き去りにして、帰り道の中を沈みながら死にゆく。多くの場合、翌日は二日酔いだったね。それでも人生を捨てきれない私は、頭痛と吐き気を抱えながら、今日が過去になることだけを祈っていた。

 

 酔っ払って色んな人に連絡をして、帰り道に友人宅へ訪問して寝させてもらうこともあったし、電柱に激突して顔面血だらけになったこともあったっけ。そういえば、帰り道はずっと心が泣いていた、もうそんな状態にそんな自分になりたくなかった。だから、一人で乱れ酒することをやめた。死ぬのなら、せめて人目につかない家の中でこっそり潰れていればいい。夜道は孤独を加速させる。終電が消えた後の世界が嫌いで、わたしにはその中を歩き進める精神力が何一つとして残されていなかった。だからやめた、全部全部やめてしまって、静かに眠ることに努めた。

 

 そんな訳であってそのBarへ帰還したのも久方振りのことだった。久し振りにカウンターに座ったら、第一声で閉店することを告げられた。

「じゃあ、今日で会えるのも最後ですね」

 なんて素敵なセリフなんだろう。よかったと思った、心の一部分が確実に安堵を示していた。私自身、どこかで自分に区切りをつけたかったんだと思う。物理的に帰る居場所が無くなってしまうことが、私にとって一つの救済でもあった。もう一人で泣かなくてもいいんだ、もう夜道を歩かなくてもいいんだ。あの頃の背伸びをしていた少年はもういない、叩く扉さえも存在しない。その事実だけが圧倒的な存在感を放っていて、そのことが何よりも好ましく思えた。

 

 確実に、人生の中に一つの区切りが刻まれた。これからわたしはどうやって生きていき、どのタイミングで生命が尽きるのか。そんなことは誰にもわからないけれど、ただ一つだけ言えるのは、いまこの場所に等身大のわたしがいるということ。脆く弱い人間かもしれない、何一つとして成し遂げられないかもしれない。それでもわたしは、そんな自分を嫌いにはなれないでいるのです。そうやって、過去に在った温もりを想いながら、今日も言葉を綴っています。

 

 

 もう会う事のない人たち、もう帰ることのない居場所。

 

 今まで本当にありがとうございました。