[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0515 止まったままの時間だけが

 

 気が付けば家を出たあの時から干支一周以上の時間が経過していた。あの頃と変わらないままの自分が心の内に住んでいて、自分でも情けない大人だと感じる瞬間がたくさんあるよ。たくさんの時間が死んで、新たに生まれた僅かなものに縋った。自分の姿が見えなくなって、気持ちが何一つ消えてしまって、「何か」にしがみつくことしか出来なかった。薄々感づいていたんだけど、わたしはずっと、あなたのことを愛していたんだね。あなた達のことを、ずっと想っていた。もうあの頃の温もりは存在しない、それなのにずっと空洞を埋めようとしていた。何をいれても埋まらなくて、嘆きながらも動き続けた。その度に自分のことを少しずつ否定して、わたしはわたしのことが見えなくなった。

 

「お前なんか死んだほうがいいよ」

 

 頭の中で反響する雑音がずっと憎かった。まるでそれが真意であるかのように、わたしは自分自身を錯覚した。そうか、死んだ方がいいのだ。死を経ることによってわたしの願望が達成されるのだ。悲しめばいい、たくさんの後悔が集えばいい。二度目の経験をすればよろしい。思えばわたしの自殺願望は、たった一つの復讐から始まったように思う。自分を認めることは苦しくて、否定を続けることは簡単だ。わたしは楽な方に逃げ続けた、どこまでも人間らしいわたしであった。

 

「早よ死ねやクソゴミ」

 

 食卓の香りがコンプレックスだった。当時の光景が蘇るようで、次第に吐き気を催すようになる。わたしは料理が出来なくなった、完全なる孤独を象徴しているみたいだから。いつでもどこにでも飛べる自由が、動かないための言い訳になった。出来ないことばかりが増えていく中で、何とか今日まで生き延びてしまった。死んだほうがいい、ってのは自分自身の思い込みである。たくさんの書物を読むなかで何となく理解を取り込んだ気ではいるけれど、次々と湧き出る希死念慮には抗えないままでいる。誰かと誰かを比較して、否定ばかりが加速する。こんなのおかしいってこと、理解は行動を制御できないままだ。

 

「誰もお前のことなんか求めてない」

 

 否定的な言葉ばかりが心を埋め尽くすのは、わたしの生き方に問題があったからだろうか。生き続けることは簡単で、死ぬことは一寸の勇気を伴う。死ぬことは簡単で、生きることは永遠の勇気を伴う。そのどちらもがわたしにとって、とても恐ろしかった。どうしてこんなにも、嗚呼、どうしてこんなにも雑音が。いなくなれ、単調な呪いばかりが頭の中を埋め尽くす。お母さん、お父さん、お姉ちゃん、妹よ。わたしはいつまで経っても子供のままだった。自分の偽り方が上手くなっただけ、人を愛することが出来なくなっただけ。愛されたいと願うことは、いけないことなのでしょうか。一緒にご飯を食べたいと思うことは、情けないことなのでしょうか。大切な人と話したいと望むことは、罪を誘発するのでしょうか。もうなにもわたしから奪わないで、もうやめて、静かにいなくなることを、わたし自身に赦してあげて。

 

 

死ね、死ね、死ね、うるさい、死ね、うるさい、うるさい、うるさい