[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0530 秒針を刺す

 

 先日、ふと部屋の掛け時計を見ると大幅に時間がずれていた。もうかれこれ12年以上使っている電波時計、時を刻む正確さとデザインが気に入っている。どうやらアルカリ電池の残量が少なくなっているようで、新しい電池と取り換えることにした。

 

 生きた電池を入れるとすぐさま三つの針が動き出し、0時0分0秒を示している。今まさに電波を受信しているのでしばしお待ちを、と言わんばかりの佇まいに関心する。その日はそのまま家を出た。

 

 会社にも電波時計があるけれど、ここでは不思議とPCの右下に表示されるデジタル時刻しか見ない。それ以外はアップルウォッチを確認する。わたしが掛け時計を眺めるのは自宅と、その他には行きつけのカフェぐらいだった。なんてことを考えている間に帰宅。胸躍る気持ちで掛け時計を確認、そして打ち砕かれた希望。マジで恐ろしいほどに時間が狂っているのであった。その上で秒針が元気に動いている。ついに壊れてしまったのか。いや、このまま数日放置すれば、心改め電波を再受信するのではないか。こいつがこんなところで朽ちるはずがない(12年も使っているのに)という謎の自信から、数日様子を伺うことにした。

 

 翌日、翌々日、来る日も来る日も、いつどの瞬間も、時間が狂ってやがりました。「電波時計」という概念を悉くぶち壊してくる我が家の相棒は、遂に限界を迎えたのかもしれない。その間、家の中で時間を確認する時は都度iPadを見ていたんだけど、これが思いのほか面倒くさい。基本的に我が家のiPadの定位置はクローゼットの中と定められているので、「今何時かしら」と思う度にクローゼットを開ける始末。途中からは確認が面倒くさくて体感時計を頼りにするも、微妙なズレが後に大きな弊害を招き、出社時刻ギリギリなんてことがこの一週間繰り返された。

 

 わたしってこんなにも時計を確認してたんだなぁ、という改まった実感。それと同時に現代社会に対する疑問符が鳴った。そもそも、こんなに時間を気にしないといけない生活っておかしくないかい? 遥か昔ご先祖様の時代は、そもそも時間を数字で表すことなんてなかったのに、現代人は概念化された数字に忙殺されている。そんなこと言い出したらお金とかもそうなってくるけど、抽象的なままの方が良かったこと、この世の中にはたくさんあるのかもしれない。なんてすぐに話が逸れてしまうけれど、兎にも角にも部屋に時計が無い生活は、少なくともわたしにとって不便極まりないことなのでした。

 

 何度電池を取り換えてもその度に意味不明な時刻を叩きだす我が相棒。もうさすがに命尽きる寸前かと思われたが、秒針だけは今日も元気に動いている。コチ、コチ、コチ、時を刻む音がする。秒針の音が気になるという声をよく耳にするけれど、わたしはこの音が好きなのであった。思うに、秒針と心臓は似ている。人の胸にソッと耳を当てて、心臓の音を聞くことも好き。聴覚で生命を味わう行為は、わたしにとって何とも言えない贅沢な瞬間である。あぁ、駄目だ、またまた話しが逸れてしまった。そう、我が家の秒針だけは生きていて、最早ただの音を奏でる機械と化している。それでいいではないか、そう考えようとしたけれど、掛け時計で時間を確認する長年の癖は消えてくれなかった。

 

 最後の悪あがきとして、インターネット上で取扱説明書を確認した。十二年という月日が流れているにも関わらず、そのメーカーでは他の製品と変わらない顔色で取扱説明書が掲示されている。こういう時、やっぱりネットは便利だよな。感心しているわたしがそこに見た光景は、電波時計にも関わらず手動で時刻を合わせる手段であった。最早これは強行突破、この方法に懸けてみるしかない。

 

 記載されている通りに時刻を合わせてみた。思いのほかあっという間に終了した作業は、本当にこれでいいのだろうかと人の気持ちを不安にさせる。現実から1分ほどずれて完成したわたしの相棒を所定地に戻してあげる。パッと見は今までと変わらない様相、秒針が快活に動いている。そのまま一日を過ごし、現在時刻との大きなズレが発生しなかった時計を見て思う。まだまだこいつと共に生きていける。

 

 翌朝、起床して掛け時計を確認すると、アラームと全く同時刻を示していた。驚いたわたしはiPadと掛け時計を交互に見比べるも、完全に時刻が一致している。電波時計が復活した、わたしの気持ちに応えてくれたのかもしれない。変わらないままの掛け時計と、これからもしばらくは生活時間を共有する。壁に目をやれば正確な時間が確認できる、たったそれだけのことで、幸せを感じているわたしがいた。失って始めて気が付くって、こういうことなのかもしれないなぁ。そうなのだとすれば、後戻りできないことがこれまでにたくさんあった。けれど、いくら後悔しても時間を遡ることなど出来ないのだから、わたし達は秒針の音に沿って、未来へ歩み続けるしかないのだ。