[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0568 音に乗れ

 

 今年に入って、歩いている時に音楽を聴くことが少なくなった。何も聴かず、何も見ず、ただ世界のなかを歩いている感覚が楽しい。毎日同じ道を通っていても、日によって景色はその表情を変えている。その気付きにほんのり心が癒されて、うなだれている野良猫に挨拶したりしてみる。歩くことは楽しいこと。外は恐ろしいほどに暑いけれど、世界のなかに存在していることを感じられる。

 

 しかし問題なのが通勤電車である。乗車時間は計15分程度、この時間が中々に苦痛だった。車内は白色照明で眩しくて、通勤通学ラッシュでたくさんの人が詰め込まれている。おまけに、最近は観光客が増えたでしょう。行き帰り共にとっても息苦しい思いをしていて、これなんとかならないものかと悩んでいた。

 

 数年前は電車の中で本を読んでいたんだけど、紙の本を立ちながら読めるほどの空間を確保することが難しい。それほどまでに人、人、人。「今日は空いてるじゃん」のラッキーな一日であっても、車内の眩しい照明の中、サングラス越しに活字を吸収する気分になれない。いずれにしても電車で本を読むことが出来なくなった。それに最近はちょっと酔う。自律神経とか三半規管やらが悲鳴をあげている。

 

 電車で行うのは主にブログ記事の推敲、連絡の返信、スケジュールの確認。これらをスマホ上でパパっと済ませているけど、どうしても時間が余ってくる。それ以上にスマホを見る気分にはなれないし(目が痛くなる)、だからといって他にすることもなく、ただそこに立ち尽くす。車窓から流れゆく風景を見ることが好きなんだけど、あいにく通勤はメトロの為、駅同士をつなぐ風景はほとんどが暗闇である。静かな環境なら何にもしないことも苦にならないけど、いかんせん人が集まれば合わない人間がチラホラと。内容丸聞こえの話し声とか、なぜか苛立ち全開の人とか、運動不足からくる体臭とか汗臭さとか。ずっとこちらのことを見てくる人もいる(自意識過剰だったらごめんなさい)。ただそこに立っているだけ、ボーっとしている状態であると、五感がいつもより鮮明に働くみたい。近年、マインドフルネスとか瞑想が注目されているのは、現代人が失いつつある五感の一部を整える役割があるからなのかもしれない。

 

 少し話が逸れたけど、要するに電車の中が暇なのです。暇だけなら全然いいんだけど、そこに苦痛が上乗せされるから困ってしまう。なんだか嫌になっちゃうのよ。通勤電車に乗らないようにするには、会社の近くに引っ越せばいいだけの話しなんだけど、今すぐにどうこうというのは現実的ではない。それならば、電車で味わう苦痛を減らすにはどうすればいいかを考えてみる。そこで思いついたのが音楽である。大好きな曲ばかりを詰め込んだ通勤用のプレイリストを作成した。それを15分間垂れ流しにする。目を閉じて、音楽だけに集中する。音の旋律をなぞってみる。鼓膜に神経を集中させると、今まで聴き取れていなかった音の存在を発見する。その気付きが楽しい。会社までの道のりが軽やかになる、何ならちょっとスキップとかしたくなる。

 

 最近は再び音楽を聴くようになりました。おかげで通勤時間がちょっぴり楽しみだったりする。やっぱり自分が心地良いことが1番なんだよな。音の上に乗りながら、わたしは何とか生きている。雨の中電車に揺られ、会社へ向かうその姿は、見る人からすれば滑稽に映るかもしれない。それでも構わない、全ては人生が終わるまでの暇つぶしだから。

 

 

 わたしは踊る、音に乗る。