[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0532 変化の糸くず

 

 生きているだけでわたし達、そして世界は常々変わっていくけれど、それが良いことなのか悪いことなのか知り得るものは存在しない。わたしにとっては良いことであっても、誰かにとっては悪いことである場合が多い。つまらないと揶揄されることもある。何が正解で、どれが不正解という話しではないだろう。個人の感じ方全てに間違いなどないのだから、言うならばそのどれもが正解なのであった。

 

 少し前までは大きな希望に満ちあふれていたのに、現在はしょんぼり希死念慮に見舞われている。正にわたしのことである、あぁ、今日も変わらず死にたいままだ。夏が嫌いだ、夏が本当に大嫌いだ。だからこそこんな気持ちになっているのか、こんな気分になっているのか、これら全てが夏の所為なんであろうか。いつまて経っても正解は現れないまま、夏の真っ只中にたどり着いた。夏の間は見ての通り死人に限りなく近いアル中、冬が来れば人肌恋しさ、年末年始の家族団欒物語で死にたくなる。秋と春、ほんの僅かな時間だけ心が元気になるけれど、近年の異常気象によってそれら安寧の時が奪われつつあった。

 

 なんで生きてるんだろう。どうしてわたしは今日を生きているんだろう。生きているだけで金がかかる、温もりを得る為には相応の金がかかる。家族みたいなものが欲しかった、寄り添える居場所が欲しかった。外に出ることが息苦しいから、真夏は仕事以外の時間を家で過ごした。「最早、仕事さえも家で完結出来ればいいのに」、なんてことを思うのだけれど、テクノロジーが発達した現代において、それはおとぎ話ではなくなったのだ。正しい方向に、必要十分なエネルギーを注ぐことが出来れば、それは充分に可能なことである。けれども、仮にそうなった時にわたしは、かろうじての繋がりを失ったように感じると思う。

 

 考えようによっては、満たされている。視る角度によっては、最早充分に満たされていた。それでも、人生の不足感を拭えないのは、身に住み着いた精神病であったり、脳にこびりついた悪習慣の所為なのだろうか。それもこれも、元を辿れば全ては「家族」が関係していることは明らかなのだけど、今さら何かを修復することは困難である。

 

「何か」をまた別の「何か」に責任転嫁することは最も簡単な罪であった。だからわたしは、こんなわたしを変えたいと思った。変わりたいと願い、変わることを決意した。これまでは同じ行動を繰り返すことによって、大いなる偉業を達成できると信じていたけれど、その”定型”を打ち破ってみたりもした。小さなことから、身に沁みついたありとあらゆる「安心=習慣」に手を加えていった。

 

 これまでに味わったことがない感覚とか、順調に変わりゆく快感とか、そういったものが心地良かった。これこそが正しい道なのだと思えた。

 

 生きているだけでわたし達、そして世界は変わっていく。次々と身に訪れる現実を処理しきることが難しく、徐々に心が沈んでいった。あまりにも、それはあまりにも一気に、新たなことを取り入れ過ぎたのかもしれない。変化の速度に心が耐えうることが難しかった。結局のところ、心が大きく沈んでしまったわたしは、自分を傷つけることで何とか生き延びようとしていた。

 

 

 思えば、長くてもあと数十年ぽっちでわたしは死ぬ。早ければ明日にでも死んでいるのだろう。わたしは現在のiPhone7をかれこれ8年ほど使用しているのだけれど、それよりも少しばかり長いだけの年月だろう。わたし達人間は日々アップデートされていく高性能なガジェット、直にガタがきて動けなくなる。意識は消え、残された人たちに悲しみを与える。そう考えた時に、自分が変わろうが変わらまいが、世の中にとって大したことではないのだと思えた。誰かがわたしを見ているわけではない、人は己自身に一生懸命な生き物である。何を着ようが、何を食べようが、何を成し遂げようが、有名人やインフルエンサーでない限り、他人は基本的に無関心である。それがどれほどまでに親しい人であったとしても、誰もわたしのことなど見えてはいない。

 

 そのように考えた時、なんだかすべてが馬鹿らしくなった。わたしが何をしても、何をしなくても、世界は興味関心を抱かない。一見ネガティブであるように見えて、解釈を改めれば自由を獲得したポジティブと化す。もっと自由に、自分勝手に、生きてみてもいいんだ。その中で、興味関心がある人のことを知っていけばよかった。停滞している自分自身のことも、そして溢れるばかりの希死念慮のことも、全部このままでよかったのだ。何かが間違いではなかった、判断している自分の思考が存在しただけだ。死にたいと思うことも、生きたいと思うことも、そのどちらもが正しい。変わりたいと願うことも、変わらないままを望むことも、その何もかもが、わたしにとっての正解なのだから。