[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.008 そんな日があってもいいじゃない

  

 「わたしが駄目なのではなく、世界がわたしを駄目にしている」

 

 ごきげんよう。知人に当ブログ記事を見てもらった結果、「小論文を思い出す」との感想をいただきました。学がないわたしは小論文の全貌を形として捉えることが出来ないでいるけど、"お堅い文章"ということだけはなんとなく理解できる。そのお堅さが悪いとは思わないし、それもまた個性だとも思う。けれど、わたしは挑戦したい。挑み続けることが人生なのだとすれば、わたしは人生を歩みたい。そのように思います。なので今回はいつもより少し文体を崩して言葉を書き綴る。ファッション業界では着崩しが一つの技として通用するのだから、あえて文体を崩すことも一つの形として成立するはずだ。おっと、気を抜くとすぐにお堅くなってしまう。一度ベットリと身に染みついた文体や手癖は中々抜けきらないことを実感しております。これは中々に難しいものだ。

 

 今回は文体を崩して文章を書くことが課題なので、特にこれといった命題はありません。暗い気持ちの時は明るい文章を書きたくなり、明るい気持ちの時は暗い文章が書きたくなる。なぜだろうと考えると、おそらく私は自身の中での一定を保つことに必死なのだろうと思う。明るすぎず、暗すぎることもない、過不足のない感情量。そこに共通しているのは、文章が書きたいという感情だけ。それだけで自分は救われている、唯一の逃げ道を知っているから、そのように結論付けます。何について書こうかと考える、頭に思いついた一言をタイピングする、その後にいくつもの言葉たちが列をなす。そんな感じでいいんです、所詮これは、一方的な片思い、甚だしいほどの自己満足なのですから。そして現在は、明るい文章を書きたいと気持ちが疼いています。

 

 あれ、これって文体を崩せている?こんな感じでいいのかい?という戸惑いがピタッとしたボディスーツのように全身に貼り付けています。想像していた以上に難しい、アダルトビデオを観てなんとなくSEXのやり方は把握していたつもりだったけれど、実際にヤってみると全然上手くいかなかった童貞の絶望と似ている。世の中の全童貞に告ぎたい、アダルトビデオはディズニーランドのようなものだ。あくまでディズニーランドは夢の世界であって、家の中にミッキーの着ぐるみを纏った人間がいる状況はホラーでしかない。ディズニーランドにいるからこそ、ミッキーはミッキーとして成立している。アダルトビデオだって同じ、あくまであれはエンターテイメントに過ぎない。現実に落とし込んではいけない。現実ではもっと違うアプローチ方法がある。そして、一体わたしは何を言っているんだろうという虚無感を、そろそろ無視することが出来なくなってきました。

 

 酔っているせいですね、すべてはアルコールが悪い。そう責任転嫁すれば、全てが綺麗に丸く収まるかしら。丸くなくても、四角く収まってくれればそれでいい。楽しいことも苦しいことも何も感じなくなったら楽になれるのかな、時々そんなことを考えたりします。豊富な感受性を勝手に付与され産まれ落とされる、眼前に広がる地獄にはもう慣れ切ってしまい何も違和感がありません。地獄が日常的で天国が非日常、苦行的に生きている訳ではないのに、あたかも自ずからその道に進んでいるような錯覚に身体中が覆われている。最近他人から言われて初めて知ったんですけど、わたしは繊細な性質を含んでいるらしい。生憎、自分以外の人生を過ごしたことがないもので、自分が繊細な人間だとは気が付きませんでしたね。生き辛そうとも言われる。あえてこちらから言わせてもらうならば、わたしは充分に幸せです。わたしの人生に必要なものは、現時点ですべて揃っている。あえて一つだけ欲を張るならば、他人の温もりをもう少しだけ感じたかった。感じたいと欲張る割に、温もりを察知した時にはその温度を拒絶してしまいます。とても矛盾していますよね。えぇ、人間は生きている限り矛盾を繰り返すものだと思います。それでも天邪鬼は世間から嫌われてしまう。

 

 これが一体明るい文章なのかはさておき、文体自体はだいぶと崩せたんじゃないでしょうか?書いていて楽しい、そしてそれはとても素晴らしく、何よりも大事なことです。書く事を止めてしまった時にはわたし自身が音も無く崩壊してしまう。それほどまでに書くことで救われているんです。当人がいなくなった後も言葉は存在し続ける、そういった部分も好ましく思っています。明日への確証など得ることは出来ない、出来るはずがない、だからこそわたしはインターネット上に自分の戯言を、羞恥を残そうと思い立ちブログを立ち上げました。気分次第で止めるかもしれないけれど、現状としては日常に色が付いたように楽しい感覚があります。

 

 一度でも読んで下さった方には感謝を伝えたい。これからも読んで下さるという方にはお酒をご馳走したい。誰かに読んでもらえるから言葉を紡ぐことが出来る。誰にも読んでもらえない文章は意地汚い自慰のようで目も当てられない。あなたが読んでくれるから私が存在し続けられる。たった一人の存在に、今日を救われ、息をすることが出来ています。

 

 ありがとうね。