[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.009 それは最も感覚的な白と黒の優劣

 

 「白色と黒色、明るい色はどっちだと思う?」

 

 わたしの自宅には黒と白以外のブツが無い。その存在を許さない、といった訳ではないのだけれど、好きなものを好きなように購入し配置していたらいつの間にかそんな風になっていた。思い返せば、学生の頃初めて一人暮らしを開始した時点から家具は全て黒で統一したいと理想の部屋を思い描いていたし、実際に統一していた。若い男の子にありがちな、ブラックモダンな部屋に憧れていたんですね。なんだか、自分ながら可愛いらしいと思います。そして現在でもその憧れを抱き続けている。いつまで経っても変わらないものは変わらない、絶対的な感性が個の中に存在している。いつまで経っても可愛いらしい自分というのも、心のどこかに隠れているのかもしれない。

 

 黒い家具が家の中を侵食していく度に、不思議と心が高揚した。現在は当時と比べれば大分と家具が少なくなったけれど、それでも室内に佇む黒い家具達を眺めているとうっとりする。それはアルコールを脳に与えた時の酩酊に似ている。完璧に近い理想形、その状態に酔っている。そんなフェチシズムが先行して、自分自身さえも黒で包み込むようになる。というのは半分嘘で、服装に関しても気がつけば黒一色になっていた。2、3年ほど前、急に思い立って当時持っていた服を処分した。まとめて全ての服を処分した訳ではなく、数回に分けて徐々に処分を続け、最終的に当時所持していたすべての衣類を捨てていた。何故なのかは分からないけど、自分の中の直感がそう叫んでいた。そして、新たに黒い服だけを購入した。クローゼットの中が闇になった、規則的に干された洗濯物が黒いドレープを彷彿とさせる。それらは視界を潤してくれる。そして心が満たされる。

 

 ただ黒色で埋め尽くせばいいという訳ではなく、個人的な感覚としては抜け感みたいなものがとても大事。自宅でいえば家具は全て黒だけど、壁紙とフローリングは白が理想。服装でいうと衣服、鞄、靴、は全て黒だけど、ピアスと指輪はシルバー、そして適度に肌色を露出させる。これが自分のこだわりなんだけど、他人からすればどうでもいいことなのだろうと思う。他人は他人のこだわりに興味がない、むしろ迷惑だと思っている場合もある。だからこそ、自分のこだわりは自分自身が愛でてあげるしかない。認め続けてあげるしかない。そうやって個は個を成長させていく。そのようにわたしは自身の感性を信頼しています。

 

 何となく自分の肌を眺めていると、黒インクで埋めたいなと感じる瞬間がふと訪れる。タトゥーは好きなカルチャーでもあるし、興味関心が有り余るほどに溢れているけれど、大好きな温泉やサウナを利用出来なくなるといった最大級のデメリットがある為、崖の最先端よりも割と後ろのほうで踏みとどまっている。乳首ピアスや性器ピアスが許されて、ワンポイントのタトゥーは許されない。これってなんだかとても可笑しいなと心の中で密やかに呟いている。タトゥーは手の届かないカルチャーとして楽しむだけでいいかもしれない、しかしそのカルチャーを体験してみたい欲求はある。好きと好きを天秤にかけることはとても難しいなと、こういった時に痛感します。

 

 服装も髪型もインテリアもタトゥーもピアスも、すべてが自己表現であって、自己満足。現代を生きていく上ではある程度の清潔感を持ち合わせる必要がある、けれどそれ以上は自分自分を満たす要素でしかない。自分による自分の為の自己表現だったハズなのに、他者から素敵だねと言われる時がある。表現の共有、作品に対する賞賛、そういった言葉に対して、相手に対してシンプルにありがとうを伝えたい。その一言で自分のすべてが肯定されたような、そんな気持ちになる瞬間ってありませんか?自己表現を肯定する言葉もまた、彼または彼女なりの自己表現なんだと思うんです。だからこそ、わたしは言葉を紡ぎたい。生きている限り自己表現を続けたい。地球上の人間が自分一人だけだったなら、自分自身を表現する必要なんてないんです。そういうことだと、表現に対してわたしは考えています。

 

 

 自己表現に縛られないよう、これからも表現を重ねていきたい限りです。