[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0451 かつての繁華街

 

 ふたりの友人と会った。彼女たちとは気が付けば七年越えの付き合いで、出会いは当時通っていたバーカウンター。一人でジントニックを飲みながら本を読んでいたわたし、帰ろうとしたら同じくカウンターで飲んでいた二人に呼び止められ、そのまま一緒に飲むことになった。なんの話しをしたかは全く覚えていないけれど、「よく笑う人たちだな」と感じたことは覚えている。気が付けば終電は遥か遠くの過去となり、流れに流れて始発までカラオケをした。

 

 みんな、若かった。数年後に閉店して跡形もなくなってしまったBAR、終電後の世界、笑い声。あの頃は楽しかったね、とか、懐かしいね、とか。そんな会話はほつれた糸のようで苦手なのだ。引っ張れば引っ張るほどに次々とほどけてしまう、そんな時間が苦しかった。幸い、彼女たちとの会話にはそんな苦しみは存在せず、「どうやって仲良くなったんやっけ?」「なんでやっけ?」「はじめどんな会話したっけ?」「わからんなぁ」「まぁ、どうでもいっか」とすべてが謎のまま、過去は過去のまま、思い出話は幕を閉じた。

 

 変わらないな、と思う。変わってしまったな、と思う。自分自身のことが。環境とか生き方とか、そういう類の何もかもが。それでいい、月日の流れというのはそういうものだ。終電時間で帰るようになった友人の姿、夜を生きるなかで欠伸が止まらないわたし、めちゃくちゃ酔っ払うようになったもう一人の友人とか。あまりにも眠くて話しがなんにも入ってこないもんだから、わたしは足早に店を後にした。さようなら、もうこのBARにくることはないんだろうな。だって、出会ったときのあのバーカウンターとは、場所も、メニューも、何もかもが違うんだもの。当たり前か、だって違うお店なのだから。それだけの月日が流れているんだから。

 

 久しぶり、終電後の繁華街と喧騒。街の空気感を二文字で表現するとすれば、それは「地獄」であった。あれ、こんな感じだったっけ? こんなにも空気が重苦しかったかしら。当時は楽しくて仕方がなかった夜の街は、とてもじゃないけど直視できない、おどろおどろしい空気感が蔓延していた。きっと、街が変わったんじゃなくて、自分が変わったんだ。現在のわたしに合わなくなった、ただそれだけのこと。

 

「なんだか自分たちだけが浮いてる気しない?」

「全くおなじこと考えてた」

 

 以前、旧友と同じ道を歩いたときのことを思い出す。なんだかわたしは彼女が発したこの一言が忘れられなかった。きっと、自分が変わっただけ。それだけのことなのに、なんだか少し寂しくなるのは、切なくなるのはどうしてだろう。楽しかった過去は箱の中にしまっておいて、現在のなかで楽しいことする必要が、わたしたちの最善だった。前進の最中でたまに後ろを振り返る、そんな一夜があってもいいよな。