[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0384 色眼鏡

 

 友人と居酒屋で会話を楽しんでいた。会話っていうのはいわゆる概念の交流みたいなもので、こういうお話しならいつまでも続けていられる楽しい。美味しい料理、ジョッキに収まった黄金色、喉に流し込みはやくも酩酊。すこしだけ調子が戻ってきた、臭いも騒音も照明も、ある程度まで耐えられるようにはなっている。それ以上に会話が楽しいのだ、新たな発見がたくさんいっぱい。笑ったり、考えたり、共感したり、なんとも人間らしい時間を過ごしていた。

 

 途中でスーツに身を包んだ四人組が隣のテーブルへと移動してきた。男性3人、女性1人の組み合わせ、上司と部下の関係性。いかにも上司っぽい男性一人がテーブルにビールをぶちまけた。「もう~なにやってんですか!」卓上に巻き起こる避難の嵐、この四人組、全員がもれなくベロベロに出来上がっておる。幸い、我々にビールが被弾することはなかったので一安心、遠い目で見守っていた。「いくら酔っぱらっても、ああはなりたくないなぁ......」なんてことボーっと考えていたら女性の方とガッチリ目があった。その瞬間、女性はお茶目顔を浮かべながら肩をすくめるポージング。なんやのそれ、と言わんばかりに苦笑することしかできないわたし。そこから友人との会話に戻ったのだけれど、思考を巡らせていたある瞬間、再び先ほどの女性と視線が合わさり、彼女は次第に言葉を発した。

 

「すいませんね、さっきからどんちゃん騒がしくて.....」

 

「あぁ、そんなの全然大丈夫です。楽しそうでなにより、酔っ払いってそんなもんです」

 

「お洒落ですね、ピアスとか色眼鏡とかジャンジャカつけちゃって」

 

「色眼鏡? サングラスのこと? これは単に病気なんですけどね」

 

「病気なの? ケラケラ ケラケラ」

 

 謎のやり取りが始まった。正確には病気ではないんだけど、説明が面倒くさいので病気と伝えたらめっちゃ笑っていた。この人だったら、重苦しい鬱感情もあほみたいに笑い飛ばしてくれそうやなぁ、好印象。それから互いの席を交えて会話が進み、それはもう酔っ払い特有のノリと勢いでしかない会話であり、内容はほとんど覚えていない。こういう会話は内容も重みもなんにもいらない、軽ければ軽いほど楽しいのだから。

 

 それから向こう側に一人のスーツが追加され五人組になり、そこからまたチョロっと皆で話しては各々の会話に戻り、ということが繰り返された。ものすごくフレンドリーなスーツ、上司と部下。気が付けば時間だけが過ぎ去り、スーツたちはお会計を済ませてそそくさと身支度。「ばいばーい」その姿が見えなくなるまで、互いに大きく手を振りつづけた。

 

「なんかよかったな」「よかったよね」、二人の会話が深い部分まで到達する頃には、終電の二文字が薄闇の中に消え去っていた。好い夜だった、好い時間だった、素敵な酔っ払いたちだった。もう会うことのない彼らのことを想う、会えないことが何よりも嬉しい、あれはきっとまぼろしに近い存在だった。だってわたし達、街中ですれ違っても気づかないまま過ぎ行くでしょう。そんなものよ、そんなもんなのよ素面っていうのは。