[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0158 踊るように生きろ

 

 軽やかに生きること、不器用にステップを踏みながら。

 

 「もっと気楽に生きていこう」なんて言葉にするのは簡単なのに、どうして頭の中を複雑にしてしまうのだろうか。わたし達は何かに縛られることを望んでいたり、規約の中にこそ自由があると思い込み勘違いしている。背中に羽根は生えているハズなのに、最早存在すら忘れてしまった。一体いつから飛べなくなった、いつまで飛べないままでいる?。

 

 外を歩けば皆一様にスマートフォンへ首をめり込ませている。歩いている時も、信号待ちの時も、電車の中でも、食事の最中も。眼前に誰が居ようと関係ない、視線は常に有機ELディスプレイに注がれている。その光景に対しての嫌悪感が甚だしい。完全に脳を支配されている別の生き物達。自分の人生なのだから、好き勝手に生きればよろしいと思う。それでも、スマホの隷属に対しては疑問を呈したい。酷い場合はこちらにまで悪影響を及ぼす可能性があるし、何よりも世界の歪みを感じてしまう。

 

 膨大な情報がわたし達に足枷をかける。そして、大切なことを忘れてしまう。人間の温もりだったり、情緒だったりが消えかけている。文脈を読み取ることが出来なくなり、他者の気持ちを慮ることが出来なくなる。本当にこのままでいいのか、薄い板きれ一枚に心を削がれる必要はあるのか?。かつて其処に咲いていた花は枯れてしまった。それにさえ気付くことなく、投影された花のホログラムをこの先も信じて生きていくのか?。

 

 

 先日、行きつけのカフェで本を読んでいた時の話し。

 一組の男女が入店してきた。男性はスーツでパリッと身を固めているが、体型管理までは行き届いていない30代前半程度の様相。女性は街中でよく見かける綺麗目カジュアルを施している、年齢は20代後半ぐらいだろうか。

 

 カップルなんて世界中のどこにでも存在しているから、入店時には全く気にも留めていなかったのだけど、二人の会話風景に大きな違和感を覚えたので思わず見入ってしまった。

 

 女性は男性の目を見ながら真摯に話しているにも関わらず、男性はずっと手に握りしめたスマートフォンを眺めている。一応彼女の話しは聞いているようだが、返答は常に曖昧である。それでも彼女は熱心に話し続ける、彼は熱心にスマホを眺めている。

 

 「何だこの光景は」思わず飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。どの角度を切り取っても地獄でしかなかった。もしかすると喧嘩しているのかな?と思ったけれど、そうだとしても、もう少しマシな喧嘩のやり方があるだろう。彼女はこの男性のどこを好いているのだろうか、細部までインタビューしたい気持ちになった。こんな馬鹿者でも誰かに愛情を注いでもらえるなんて、世の中も捨てたものじゃないのかもな。

 

 もしも自分がそのような態度を取られた場合、罵詈雑言を浴びせてさっさと別れてしまうけどな。言葉を投げかけることもエネルギーが勿体無いと感じるから、もう何も言わずに関係性を断ち切ってしまうかもしれない。それでも何故この女性は側に居続けるんだろう。わたしにはどこまで行っても理解できないんだろうな。

 

 内情を知らないのに勝手に他人を”馬鹿”だと決めつけること、これはわたしの悪癖です。今回の男女に関しても、それが一つの形として存在しているのに、自分のフィルターを通して物事を判断してしまうこともよろしくないと思っている。他人には他人の事情がある。

 

 それでもね、彼女はとても悲しそうな横顔をしていた。話しを聞いてもらえないことの辛さと虚しさ、その横顔が頭の中に焼き付いている。何故悲しませるのか、何故目の前にいる彼女と向き合わないのか。それも一つの恋愛テクニックか?そんな態度には反吐が出るよ。

 

 

 流れに身を委ねたままでいると、いつか自分自身を見失ってしまう。だからこそわたし達は意識的に踊る。世界の苦しみをありのままに感じている。スクリーンが割れているのか、もしくはあなたの眼球にヒビが入っているのか、一体どちらが正しいと言うのだろう?。その正しさの根拠はどこに存在しているのか。わたしにはわからないけれど、それでも自分の正しさを信じて今日もステップを踏み続ける。

 

 

 スマートフォンなんて投げ捨てて、わたし達は手を取り合い踊りましょうよ。愉快なステップを踏みましょうよ。そして、果てには狂ってしまえたら幸せだね。そうやって死ぬまで踊り続けるわたし達のことを、ヒトは”人生”と呼ぶのであった。