[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0437 どうせ俺たちは生きている

 

 友人が経営するBARで飲んでいた。カウンターに常連客が整列するなか、明らかに場違いなわたしに優しく話しかけてくれた隣人。優しいお兄さん。年齢は三十台後半、容姿は若々しく、とても気さくな雰囲気を醸し出している。

 

「いやぁ、さっき話し聞いてて面白いなぁと思ってね」

 

 息を吐くように人誑し、最早コミュニケーションが強すぎて頭が上がらない。わたし、なんにも面白いこと言ってないのにね。「そうやって誰にでも嬉しい言葉投げかけるんでしょ」ちょっぴり意地悪になってみる。「いやいや、マジで誰でも言い訳じゃないねん。こうやって面白そうな人にだけ声かけてるねんで」なんやねんお手本のように人誑し。このお兄さんはスーツを身に纏い、隣には上司がいらっしゃる。この上司、ダンディーでめっちゃカッコ良い。上司は上司で他の隣人と楽しそうに会話していて、『株式会社 人誑し」という謎のワードがほろ酔いの頭を横切った。

 

 店内は盛り上がっていて友人もお客様との会話に忙しそう、つまんないし早よ帰ろうと思っていたんだけど、人誑しお兄さんと会話してから時間の流れが急加速、あっという間に午前3時になっていた。この人誑しお兄さん、上司にも容赦なくタメ口の関西弁でツッコミをいれる。わたしには敬語、上司にはタメ口、それだけで場の空気感をお兄さんが独り占め。”コミュ強”というものを目の当たりにした。そしてやっぱりね、彼はとてもモテているらしい。お世辞にもイケメンとは言えないんだけど、話していると「そりゃあモテるでしょうね」となる。とにかく勢いが物凄いんである。その勢いに身を任せられる安心感があった。そして、同性だからなのか、最早性別なんて関係ないのか、ものすごくボディタッチが多かった。もうこのまま抱かれるんじゃないかと思うぐらい、何度も何度も肩を抱かれた。「正直、男はアリ?ナシ?」というアルコール任せの質問が店内に提供された時、彼は恐ろしいほどの真顔で「男はマジでないわ」と即答した。なぜかホッと一息安心感、危機一髪の心情であった。ちなみに彼は妻帯者、可愛らしいお子さんがいらっしゃるとのこと。

 

「どんなタイミングで結婚を決意されたんですか?」

「相手に迫られたから結婚した。俺はなんにも考えてなかってん」

 

 酒が加速するなか問うてみる。ほんと色んな形があるもので、最近は既婚者にこの質問をすることにハマってる。そのどれもが参考にはならないのだけど、回答にはその人らしさが存分に散りばめられている。

 

「俺は気分の浮き沈みが激しいからね」

 

 ずっと死ぬつもりでおってん、と彼は言葉を続けた。傍からみれば誰がどう見ても陽キャなお兄さん、心の奥底に飼っている絶望がチラリ初めましてこんばんは。

 

「当時、彼女(現在の妻)と交際してる時はずっと死にたかってさ。いなくなることばっかり考えてた。でも、そのことを打ち明けても彼女は受け入れてくれてん。それでもいいよ、って。その後に結婚しよって言われたから、結婚した。そんなもんよ」

 

 なんなんだろうかこの気持ち、小説を読んでいる気分になる。盛大な惚気話しを聞いているようであり、美しい愛情の欠片を音声で提供されているようでもある。「いまでも死にたいと思っていますか?」と聞いてみたところ、「いまは娘がおるから、死にたくても死なれへんようになってしもたわぁ」と言って彼は大きな声で笑った。そこには清々しい笑顔が浮かんでいた。

 

 その後はお兄さんとダンディー上司の仕事論に火が点き、サラリーマンらしい会話をしていた。その場にいた全員が社会の仕組みを熟知しており、結果を残してきた猛者ばかりなのであった。無論、そのお兄さんもその内の一人である。なーんだか自分だけが取り残されているような、地に足が付かないまま会話を鼓膜で受け止め続け、「みんな、ちゃんと考えながら仕事してるねんなぁ」といった具合であった。すごい、すごいぞ大人たちは。わたしはどうにも真似できそうにない。

 

 過去に死にたいと思っていた人間が、死ぬつもりだった人間が、こんなにも熱量を持って仕事話しを繰り広げている。「部下に求めることは?」との問いに対して、彼の回答は「愛ですね」だった。この瞬間だけは、全く笑っていなかった、大真面目なのであった。なんかこの人、自分みたいだなぁ、なんて謎の親近感。このまま仲良くなってしまいそうだったから、連絡先は交換しなかった。なんとなく、これ以上関わると辛くなりそうなのだ。彼も、わたしも、その二人共が不幸になる。口が裂けても、「わたしも死にたいと思ってるんです」とか「もう人生終わらせたいんです」とか、言えなかった。自分の意見は、なに一つ発しなかった。終わってみて思うけれど、それでよかった、それで正解だった。シンパシーを感じるのは、自分だけでよかったのだ。

 

 いつも起床する時間に眠って、意味のわからない時間に目が覚めた。もう人生どうにでもなれという気持ちで、身支度をして旧友に会いに行く。いま死にたいと思っていても、将来には何かしらの可能性が存在すること。その為の必須条件は生きていること、今日を生きること。そのことを知れた、実例を目の当たりにした、本当に良い夜だった。体内時計が悲鳴を上げるなか、満足気にわたしが微笑んでいる。すべてが繋がっているのだ。今日と明日が、わたしとあなたが、まだ見ぬ未来が。