[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0215 殺風景な食事

 

 ここ最近、食欲が湧かなくて困っている。

 

 正確に言えば、腹は減るけれども食べたいと思える食物が無い状態。感情が食事を求めていないというか、何を食べても同じというか。結局食べないでいることもあるし、埋め合わせ的に食べることもある。味がしない訳ではないんだけど、何を食べても味気ない。咀嚼をすればするほどに脳内が空虚で埋め尽くされていく。何してんだろ、何でこんなの食べてるんだろ、たった一人きりの部屋で。

 

 食事を行う際は食べることだけに集中するように心掛けていて、スクリーンを見ないようにしている。そもそも自宅にはテレビが無いし、テーブルの上にパソコンやタブレットを置くのも何だか気が引ける。だから食事中はクラシック音楽を聴きながら優雅に味わっているつもりなんだけど、食べている物は所詮うどんに過ぎない。馬鹿みたいだなと思い少しだけ笑顔が零れるけれど、その馬鹿らしさを共有する人間は未だ存在していない。

 

 寂しいのかな、きっとそうなのかな。そう思い、外食を試みるも自宅以上に落ち着かない。金銭を支払う代わりに面倒事をすべて代行してもらっているだけで、結局のところ栄養補給と咀嚼は自分自身が行わなければならないし、同じ空間に他の人間がいるからこそより極まる空虚がわたしを襲う。「うわ、死にてぇ」となる訳です。一々面倒くさい人間だなと、わたし自身思いますよ。でもね、その面倒臭みも私の一部分であって、だからこそのわたしなんだよ。なんて飾り付けの自己肯定だけではやり過ごせないほど、食事中のわたしは空っぽだ。

 

 その反面、誰かと一緒に食べるご飯は格別に美味しい。楽しいし嬉しいし温かい、こんな時間が毎日のように訪れるなんて、家族やパートナーという概念は素晴らしいものだと思う。それでも現状としてわたしには一時の夢物語でしかなくて、翌日にはまた一人で咀嚼を繰り返している。部屋に響き渡る快活なクラシック音楽が滑稽で、まるで空元気を装った夜空の様に”私のことだけ”を覆っている。だから中途半端に温もりに触れることが怖いんだ、否応なしに迫りくる明日に脅迫されているから。「あー、楽しかった」って言いながら帰り道に死にたいわ。そうやって夜の中に消えてしまいたいな。

 

 

-それよりも以前の、過去の話しを聞いて下さい-

 

 

 わたしは自他ともに認める大食漢なのですが、食べる時はどこまでも食べられるけれど、面倒くさくて食べない時はどこまでも食べない、もしくは金が無くて食べられない。二十歳の頃、このような生活をしばらく続けていました。そうすると、知らぬ間に心が大きく損傷していて、気づいた時には既に手遅れでした。しかし不幸中の幸いと言いますか、わたしの側には栄養学に富む料理上手な知人がいました。彼はそれまでのわたしの食(笑)生活に疑問を呈していたようで、心が壊れて以降しばらくの間は栄養豊富な手料理を与えていただきながら、食の重要性を感覚として学ばせていただきました。外食でも様々な料理をご馳走していただいて、合計するとその額は百万円を優に超えると思われます。金銭的な部分を持ち出すことには賛否両論ありそうですが、それ程までにお世話になったことをここに記したいのです。

 

「なんでここまでしてくれるん?」

 ある日、不思議に思ったわたしは問いました。

 

「これは投資や、俺は君の未来に対して投資してるだけ。」

 ただ一言、彼は笑顔で迷いなく言い切りました。

 

 

 本当に、わたしは人に恵まれている。自分の本名は使用漢字とは異なる奇天烈な読み方をするのですが、そこには「周囲の人が助けてくれて何とかなる」という他力本願極まりない意味合いが込められているそうです。”名は体を表す”といいますが、本当にその通りで、気が付けば自身の名を自然と体現していて、優しい体温たちに救われている。

 

 

 せっかく投資してくれたのに、こんな人間になっちまってごめんね。それでも尚、死を祈り続ける姿勢を続けてごめんね。たとえ、わたしの未来が星屑であったとしても、一つの星であったことには変わりないから。不器用なりに、この世界にたくさんの屑をまき散らしていくから。そんなゴミ屑の一部分に輝きを見出してもらえるなら、もう少しだけ頑張ろうと思える。自罰的でもいい、破滅的でもいい、どんな形であっても、もう少しだけ終わらない選択を続けることが出来ると思うの。あなたの投資は無駄になってしまうかもしれないけれど、わたしはその言葉を大切に抱きかかえて、最後に向かって歩いていくから。その時は、笑顔でありがとうを伝えるね。

 

 

 今日も一人、黙々と咀嚼を行いながら。