[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0216 不安生涯、心に宿して

 

 

 自分に「大丈夫」と言い聞かせている時点でもうそれは大丈夫ではなくて、相手に「私は大丈夫?」と確認している時には既に心の土台が崩れてしまっている。

 

「いまの私は、全然大丈夫じゃない」

 

 ただそれだけを認められれば良かったんだけど、認めてしまえば自分を支えているものが何一つ残らず消失してしまうようで、純粋な気持ちとして恐怖を感じていた。世間の目に晒されている間は平気な”フリ”を続けていて、平気ではない事実を悉く隠蔽している。

 

「うるせぇ、話しかけるなよ」

 

 ”いつからこんなにも愛想笑いが上手くなったんだろう”。そんなありふれたセリフを垂れ流すようになったら終わりだ、感性が終わりを達成しようとしている。そもそも始まってないじゃん、何一つ、成し遂げてないじゃん。培ったつもりのたくさんの言葉で、一体誰を救えたというの?。自分自身さえも救えないくせに、いつも傷つけてばかりのくせに。気が付けば、傷ついた”フリ”ばかりが上手くなっていて、一人遊びだけが心を満たす唯一の方法となっていたね。

 

「全員死んどけ、馬鹿」

 

 強い言葉ばかりを心が吐くから、それに追いつかなくて身体が引き千切れそうだ。穏やかでありたいだけなのに、胸中を渦巻く不安材料が今日も不敵な香りを漂わせてる。無作為に差し出される大きな不安に抹殺される、もうお腹一杯だ、だから愛が欲しいとばかり嘆いて、そして、公園のベンチで泣いているのかな。

 

「」

 

 優しい人間になりたくない、器用な人間にはなりたくない。それで誰が愛してくれるというのだろう?。脳味噌にアルコールを直接流し込めば少しは楽しく生きられるのかな。楽しいから飲むんじゃなくて、嫌な事を忘れたいから飲む、いつまでも在中する不安から遠ざかる為に飲む。結局、そんなことしても不安はいつまでも残留するのにね。馬鹿みたいだと思いながら、喉に40度の液体を流し込んでいる自分がいて、そうしてヘラヘラと笑ってらぁ。そういえば、人間は口角を上げるだけでドーパミンやらエンドルフィンが脳から放出されるらしい。端的に言えば、それだけで少しハッピーになれるってことだ。ということは、ヘラヘラしている間のわたしは少しだけ幸せなのかな?世界からの愛を感じられているのかな?。なのにどうしてだろう、涙だけが止まらないのは。いつまでも不安が鳴り止まないのは。

 

 

「きっと、あなたは大丈夫よ」

 

 ただ一言、その言葉が欲しかっただけなのに、どうしてこうも世界を歪めてしまったのか。埋まらない心の溝を誤った代替品で埋めてしまったから、おかしなことになってしまったのか。耳鳴りの音階が妙に心地良くて、目を焼く日光が辺りを激しく照らしている。もう何が正しくて何が間違っているのか分からないよ。理性がその役割を放棄しているから、現在のわたしは一個の人間として、大失格なのであります。

 

 

「きっと、あなたは大丈夫、」

 

「きっと、あなたは大丈夫、」

 

「きっと、あなたは大丈夫、」

 

「きっと、あなたは大丈夫、」

 

「本当に、僕は大丈夫?」