[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.096 それでも世界は何一つとして変わらない

 

 別に、生きていたっていい。

 

 

 夜、ベッドに入る前に服の内側へ香水を一吹きする。そうして布団に包まって眠りにつくと、少しばかり心が安らぐ。ただそれだけのことで、自分がほんの一ミリだけ変わるような気がする。

 

 無意味、そのまま目覚めなければいいのにと思う。眠りの中にずっとずっと沈んでしまいたいと思う。

 

 多分、明日を生きるであろう予感がしている。それも悪くはない、だってやりたいことはたくさんあるから。起きて飲む一杯のコーヒー、キーボードのタイプ音、エアコンの息づかい、少しだけ熱めのシャワー、読みかけの書物、大好きなわたしの家。幸せだ、幸せ者だなと思う。不自由はあれども、その不自由さが幸福を助長するような、そんな感覚がある。

 

 けどね、その幸福も全ては無意味。

 その空虚な響きだけが私をとても安心させる。

 

 香りって、あってもなくてもどっちだっていい。不快な臭いは精神を削ってゆくから出来る限り排除するべきだけど、だからといって良い匂いである必要はない。人によって好い香りの感じ方や趣向は異なる、だからこそ自分が良いと感じる香りを纏うこと。それは、誰でもない自分の為に行う一種の愛情表現だと思うのです。他の誰でもない自分の為に無意味を纏う、それってとても贅沢なことだと思いませんか?

 

 だから香りが好きだ、私は無意味なことが好きだ。

 

 

 生きること、それ自体が無意味だ。

 

 眠ること、食べること、働くこと、書く事、読むこと、会うこと、交わること、全部。人間は、無意味を好む生き物なのかもしれない。当たり前のこと過ぎて、好きを忘却しているだけなのかもしれない。何よりも、好きとか嫌いとかいう感情自体が、何の意味も持たないのかもしれない。

 

 意味付けしようとしなくていい、私たちはその無意味を存分に味わい楽しむべきなのです。何をしてもいい、だって無意味なんだから。何もしなくてもいい、そもそもが無意味なんだから。必死に生きても、怠惰に生きても、生きることをやめてしまっても、何だっていい。意味なんて見出さなくていい、大抵の場合探し物は見つからないものだから。

 

 苦しい時や辛い時は、もっと他人に甘えてしまって、自分を甘やかしてあげてください。甘え方がわからないという人は、わからないなりに一度甘えてみてほしい。とにかく自分に優しくしてあげてほしい。出来れば他人からも優しくされてほしい。甘々のショートケーキみたいな人生を歩みたい。そう考えている私は、脳が糖分で溶けてしまっているのかもしれません。そして、そのぐらいが丁度良いのかもしれません。

 

 人には人の、必要な無意味がある。他人に何を言われたって構わない、もっと自分本位で生きていたい。もっともっと自分勝手に死を歩みたい。

 

 

 自分自身がある程度満たされた時には、近しい人にショートケーキを贈りたい。

 

 甘ったるい生クリームと空虚なスポンジを口に含みながら、呆れた様子で今日を笑う。