[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0211 主流煙

 

 何だかとっても遣る瀬無い気持ちでいる。状況にはとても恵まれているはずなのに、何も変われなくて幸を掬うことすらできない。もうずっと眠っていたいって思う、どうしてもたくさん眠ろうとすると頭の中が痛くなる、困る。真面目に生きても心が疲弊していくばかりの世の中が、もう私にとってはどうでもよかった。

 

 そこに言葉さえあれば、花さえ咲いていれば。枯れていく姿を形容詞で助長する。それでも尚、水分を欲する全身が愛らしい。いつまでも見ていたかった、そこにポツリと佇む花を、ずっとずっと見ていたかった。もしかすると自分自身と重ね合わせていたのかしら?大層な存在、花のように麗しく、時間経過と共に枯れていく。私がそんな人間だったら、良かったのだけれど。

 

 ”これが大事”と世間が大衆に押し付ける何もかもが私にとっては大事ではなくて、その有様は脆弱な物差しを彷彿とさせる。そして、またちょっぴり絶望する。「どうして生きているのだろう」の”どうして”を顕微鏡で覗き込んだら、たくさんの細々として死が文字の上で蠢いていた。そりゃそうだね、そんなこと考えなくていいのだから。何も考えず、日々を笑って過ごせばいいのだから。それでも、そんな風に生きられない人間は、消えた笑顔を探す為だけに死の上で踊り続けないといけないのでしょうか。

 

 もう疲れた、勘弁してほしい、誰か俺を止めてほしいんだけど

 

 煙草が吸いたい気分、あるんだよね時々。誰かが亡くなった時、そして自分の一部が死んだ時。結局、買うのも火をつけるのも吸い込むのも吐き出すのも面倒に思えてきて、吸わないままでいる。きっと煙に”死”を重ねたいだけなんだと思う。その為だけにまた中毒になってしまうのもなぁ、という気がするし。わたしはいとも簡単に物事に依存してしまうから、そうやって適宜制限をかけないと生活が破綻してしまう。もうこれ以上依存先を増やしたくないし、疲れちゃうし。

 

 

 破綻しちゃえばいいんじゃない?今日を生きているんだから、快楽の限りを尽くせばいいんじゃない?一体なにを守ろうとしている、一体なにから守られようとしている?温もりは自己生成するものでしょう?だから気持ちいいことをして、浮ついたまま生きていればいいよ?大丈夫、君の価値は薄れない、少しばかり世界の造形が醜いだけだ。

 

 

 

 ずっとずっと欲求の声が聞こえる。自分自身を壊してしまえ、快楽に身を浸しちゃえって気軽に言ってくれるけど、その後の責任を負うのは未来の自分だ。あれ、それなら欲求に従ってもいいんじゃない?だって未来の自分は今これを書いている自分ではないのだから。捉え方によっては他人でもある。それでも、きっと苦しむ、そんな姿が容易に思い浮かぶから、私はわたしでいることにだけ集中していたい。自分に優しくするということは、他人に優しくすることでもあって、それって優しさそれ自体に愛が含まれているということでもある。

 

 自己破壊欲求からどのようにして逃げながら生きていけばいい?逃げることも無意味、戦うことも無意味、だとすれば私は無意味の中をいつまで走り続ければいい?事の顛末には君に出会えるのだろうか、その可能性にどれ程の人生を捧げればいい?わたしは一体いつまで私を続ければいいの?「わからないよそんなこと」最後に吐いた煙と共に、大気の中に消えてしまえればよかったのにな。