[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0212 疑問詞の価値

 

 私たち人間は何かにつけて理由を見出している。テクノロジーの発達によって生活が快適になる一方で、人間性にまで合理化が侵食しているように感じる。理由がないと行動出来なかったり、人生を合理的に捉え過ぎてしまって、時折湧く少しの不合理に耐えられなくなっているんじゃないか。

 

 そうやって深く考えすぎてしまうから心がしんどくなったり、その場から動けなくなったりする。生きているとあちらこちらに不条理は散らばっている。ただ道の上を歩いているだけなのに、意味の解らないことばかり、理解に苦しむことばかりだ。それでも私は今日を生きていて、現在の一歩を踏み出している。

 

 

 「どうして生きるの?」いやわからない、自分でもなんで生きてるのか不思議でたまらない。「自己成長のため?」その感覚はほとんどなくて、寧ろ人間は未熟な一部分があった方がいいと思う。「誰かのため?」その”誰か”を明確にすることは出来ないんだけど、現在の自分にそこまで心を配る余裕はないかな。「自分のため?」最近思うんだけど、自分の為だけに消費と生産を繰り返す人生って個人的にすごくつまらない。ある程度他人が介在してこその人生だと思う訳ですよ、矛盾。「どうして死なないの?」いや、さっきからわからんって言ってるでしょう。だから君も僕も、困っているんだよな。

 

 

 自分の中には好奇心旺盛な幼児があの頃のまま生きてきて、事あるごとに疑問を投げかけてくる。最初は丁寧に説明していたのだけど、しばらく経つと説明をしている自分自身に対して疑問を抱くようになり、やがて自分の考えに自信が持て無くなって、モロモロと少しずつ自我が崩れていった。心の声への反応を続けた結果、とても生き辛くなった。”自由”と言う名のつく何もかもが私から遠ざかっていた。

 

 手を伸ばしても届かない場所まで遠ざかった自由、重い足枷を施したのは紛れもない自分自身だ。そうやって考えることもまた自分を苦しめることになり、自責の金槌で後頭部をガンガンと殴られている感じがする。自傷、無形の上でも自分を傷つけることは簡単で、目に見えないからこそ発見が遅くなることが多い。それは自分自身でさえも、血が流れていることに気づかない。パックリと割れた切り傷に、幾度となく爪で抉り続けた切り傷に、誰も彼もが気づかないままでいる。

 

 ふとしたきっかけで傷を発見、そこでもわたし達は思考を巡らす。「どうしてこんなことになっているのだろう」「どうして今まで気付かなかったのだろう」「どうして誰も教えてくれなかったのだろう」疑問が疑問を呼び、それ等が集合体となった時には立派な人間不信が完成する。その中には自分自身も含まれていて、文字通りの”自信”を綺麗サッパリ消失する。

 

 彼彼女に一番必要だったのは、人の温もりだった。安らかなるたった一度の抱擁だった。そして、その温もりの中で泣いてしまうことだった。僕たちは”大人”を免罪符にして抱いた苦しみや悲しみ、ましてや喜びや楽しみさえも心の中に隠してしまう。そうしてはちきれんばかりに膨張した心が暴発して、感情が誤作動を起こす。大切なのは、誰かを必要とすることだった、抱きしめられることだった。「苦しい」「悲しい」「温かい」ちゃんと気持ちを言葉にすることだった。世間一般に流布する歪んだ大人の造形を、自分の手でぶっ壊すことだった。

 

 ここで今一度、僕の中に在る幼児の声を聞いて下さい。

 

 「どうして生きているの?」

 そんなことに意味などない、理由など存在しない。偶々、この地球上で生物が誕生した。生物が繁殖を続けた結果、生態系が築き上げられた。偶々、その日精子と卵子が結びついた。そして、一人の人間が誕生して意志を持った。私やあなたが存在していることにも、地球や世界が存在していることにも、意味や理由など有りはしない。全ては偶然生まれたことに違いなくて、そこに必然的可能性は見受けられないのではないだろうか。少し歯車がズレていれば、何もかもが違ったはずだ。偶然そこに在った地球の上で、偶然生まれた私たちは生きている。地球は回る、即ち私たちは偶然の上で踊らされているだけに過ぎないのだろう。

 

 どうせ踊るのならば、無理矢理踊らされるよりも、能動的に踊った方がいいと思いませんか?。楽しそうに踊った方が、本当に楽しくなりそうだと思いませんか?。何もかもが偶然の産物で、わたし達もその例外ではない。偶々、男と女が身体を重ねただけだ。そこに意味はなく、同じくわたし達が存在する理由もない。だからこそ深く考えないで愉快に踊って、もう駄目だと思った時には、たくさん眠ればいいと思う。

 

 産まれた瞬間から唯一定められている必然性、それが”いなくなること”。わたしがいなくなっても世界はこれっぽちも困らないで回転を続けるだろうけど、「私にはあなたが必要」嘘でもいいからそんな言葉をくれる人と触れ合う為に、今日も言葉を綴っているのです。