[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0448 失う前に気づきたいこと

 

 そんなことばっかりだなと思う。大抵のこと、気付いた時には手遅れなのだった。日々のなかを通り過ぎるたくさんの人、出来事、感情の動き、愛に似たなにか。側にあることが当たり前になって、当たり前というやつは人間の感性を鈍らせるもんだから、少しずつ失ってることには気づけやしない。茹でガエル。あと何度同じこと繰り返すのだろう。こんな想い、もう懲り懲りだと感じる度に、失ったことを事実としている。

 

 感覚としての喪失。さよなら、またね、また明日。そう言ったきり訪れなかった明日とか、別れの言葉すら伝えられなかったこととか。過ぎ去ったものがわたしのことを咎めるみたいで、なんだか胸の内がモヤモヤする。誰のせいでもないのだ。これが世の流れなのはわかっているのに、時折こうやって頭を埋め尽くす勢いでたくさんの過去、見捨てられたような被害妄想と雨。

 

 小さな気づきをたくさん積み上げて、後悔を未然に防ぐことができればいいのに。そんなことを考えてみても、辿り着くのはいつも結果論。確率的な問題でしかないのだろう。それとも縁がなかったのか、少なくともわたしは一生懸命にその瞬間を生きていた。それはきっとあなたも同じ。似ているものね、だからこうして出会ったのでしょう。これも偶然で、結果論で、確率的なことなのだとすれば、出会えたこと、関わり会えたこと、話せていたことが、とても有難いことのように思えるな。これでよかった、これでよかったのだろう運命よ。そう思わないと、この先に進んでいくことが難しいのだ。失うことが前提のわたし達は、手からこぼれ落ちたものばかりを探してる。ずっとずっと、探している。目の前にある、大切なことが見えなくなっている。