[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0365 よくできた人間性

 

 わたしは個人的に性悪説を信じていて、人間の根源に渦巻くものは欲望だと思っている。愛情とか優しさとか、もちろんそういうものは存在しているけれど、あくまでそれらは欲望の上に存在しているものである。そして、欲望は暴力的だ。それを制御するために倫理が構築され、法が制定された。わたし達は、人間は、所詮動物で身体の中には利己的欲求が根を張っている。

 

 そういう風に考えているから、たとえば横柄な態度を振り撒く人間に出会しても、「まぁ、そんなもんよね」といった感じで難なくやり過ごせる。目の前の人物がこんなにも動物的であることに哀れみを覚える。動物的であればあるほどに、周囲を漂う哀愁が面白くて笑顔。「馬鹿にしてるのか?」よくご存知ですね、小馬鹿にしてます。うまく眠れなかったのかな、お腹が減ってるのかな、セックスが足りていないのかな、承認欲求が爆発しそうなのかな。不機嫌な人って一つのエンタメ。どうしてそんなにも、感情を露わにできるんだろうか、不思議だね。

 

 それでも、時として、心が清らかな方、美しい人というのは存在していて、にわかに信じがたい聖人を目の当たりにすることがある。思うに、そういう方は自分を律することがとても上手なんじゃないだろうか。自制心がずば抜けて偉大なのではなかろうか。欲求のままに生きていては、他人に優しく在ること、与えることは難しい。自分自身の欲望と向き合うことで、やっとこさ寸分の利他がひょっこり芽を出す。視野がとても広いんだね、自分のことばかり考えていては、誰とも向き合うことできないものね。そういう人間になりたいなぁ、なんて思うのだけれど、自制というものは中々に難しい道のりだった。だからこそ、それを出来ている人が偉大に見えるんだろうけど、頭に浮かんだ「お酒が飲みたい」という欲求をかき消すことは、本当に本当に難しくて、やはりわたし、死ぬまで矮小なままかもしれない、そんな諦めばかりが心に居座り泣いておる。

 

 愛されたければ愛しなさい、与えられたければ与えなさい、欲しい欲しいばかりのワガママと憂鬱はアンハッピーセット、いつまでも最底辺さまようだけの儚き動物はもう懲り懲り。嗚呼、いつまでもわたしに根付く性悪よ、お前なんかに負けてあげない。清らかにはなれない、聖人にはなれないかもしれないけど、美しく散って亡骸になりたい。願望、欲求、食欲、睡眠欲、性欲、承認欲、そしてたくさんの絶望。お前なんかに、もうお前なんかに、サヨナラまたね今度は来世で。

 

 

 自制心を保つこと、己を律すること、与えること、愛すること、生きること、美しく散ること、わたしのこと、あなたのこと、悲しいものばかり見つめていたい