[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0233 雨傘

 

 何の予兆も無しにドップリと沈んでしまうから嫌になる。雨の日が好きだ、そう思っている自分自身が、いまは嫌いだ。調子が良いと思って圧倒的に油断していた。何もかもが重くて、身体が潰れてしまいそうだ。このまま潰れてしまえばいいのにとも思う。おかえりなさい、息苦しさ。つかの間の休息はいかがだったかしら。わたしは人が変わったように生き生きとしていました。狂っていたのでしょうか、頭がおかしくなっていたのでしょうか。こちら側が、通常運転なのでしょうか。それならばこれこそが望む姿であるはずなのに、平静はどこかへ消えてしまって、他人の幸福論ばかりが枯れた心を照らしている。

 

 そんな訳で、物凄く暑くて全身が燃えている。灯油にも似た焦燥感が追い打ちをかけるように勢いばかりが加速していく。これは自律神経がぶっ飛んでる時のあれだ。過去の経験からよく理解できる、いとも簡単に落ち着きを偽装する。内心は次々と溢れる汗粒に辟易していて、頼むから楽に眠らせてほしいと願うばかりで。エアコンから吐き出される気持ちばかりの冷風だけが、唯一わたしの側に寄り添ってくれるように感じていた。

 

 ショートケーキが食べたいな、お酒も飲みたいし、誰かに抱きしめてもらいたい。ベッドに横たわりながら、欲望のままに妄想に耽る。ドーパミンやらオキシトシンを分泌したいだけの獣がそこにはいて、思わず自分でも笑ってしまう。素直であればあるほどに、自制心を失えば失うほどに、わたしたち人間は獣の姿へと回帰するのではないだろうか。たまには本来の姿へ戻ってもいいんじゃないか。ある程度の知性が備わっているだけで、我々は獣を脱却したつもりになっているけれど、それって勘違いも甚だしいと思う。どこまで進化しても人間は、皮膚を伴った獣に過ぎないのだから。

 

 獣に戻るのはいいけれど、再び人間を装うことはとても難しい。脳は楽を好む性質を持っているから、一度快楽を覚えてしまうと、何度も繰り返し”悦”を求めるようになる。そのことは理解しているつもりでいるけれど、理性を軽く超越する本能が歯止めをぶっ壊してしまう。一言でいえば『楽ばっかしてると取り返しがつかなくなる』ってこと。それでも、苦しみを感じている時だからこそ、少しぐらいは楽を手にしてもいいんじゃないかな。それは逃避ではなく、一時的な休息として、見逃してはくれないでしょうか。こうやって自分自身に許しを請うて、自分自身に足枷をはめている。弱い人間であるが故に、どこまでも堕ちてしまうことが恐ろしくて、怖いのです。

 

 

 雨の底で想う 

 もしも愛が降ってきたとすれば

 何よりも大切に抱きしめるのに

 

 わたしは人間のままでいられたのに