[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0180 傷だらけの美脚

 

 突き抜けるように真っすぐ伸びる二本の脚。誰もが見とれてしまうその美しさにも、目を凝らすと所々に傷が見受けられる。

 

 数本の擦り傷、膝小僧を陣取るカサブタ、痛々しい脹脛の青痣。一体彼女に何があったのだろうか?身勝手な考察を行う。階段から転げ落ちたのだろうか、誰かにぶっ飛ばされたのだろうか、もしくは自傷的な何かがあるのだろうか。在り来たりなものからトリッキーなものまで、様々な理由を頭の中に列挙させようとも、赤の他人である私が答えを導き出せるはずが無かった。

 

 

 わたし達は、各々の人生から派生する日常の上を歩いている。これまでも、長い時間を歩いてきた。人によって速度や歩幅は違うけれど、一歩を踏み出せば進むという点に於いては平等なはずだ。時に意図せず後退を強いられる場面もあるだろうけど、それでも不貞腐れないで踏み出す一歩を諦めなければ、わたし達は進み続けることができる。

 

 そんな最中で、休みなく歩いていれば石ころに躓いて転んでしまうこともあるだろう。ただの平地にも関わらず足を挫いてしまうこともあるだろう。誰もが無傷で進み続けるなんてことは有り得ない。負傷してやっと休むことを覚える、休息の尊さを学ぶ。それでよかった、そうすれば傷は最小限で抑えられたのに、それでも尚負傷を甘く見積もり歩みを止めない人もいる。

 

 そういう人は、他人の目には逞しく映るかもしれない。けれども、視点を変えればその逞しさは瞬時に無謀さへと早変わりして、幾度となく負傷を重ねた結果、二本の脚は再起不能になってしまう。

 

 その結末に納得出来ていれば問題はないけれど、一寸の後悔も存在しないことなどあり得るのだろうか?それは強がりではないか?。だってもう、彼は動けないから。歩くことが出来なくなってしまったから。長く休息を取ってリハビリテーションに励めば、また歩けるようになるかもしれない。それでも以前と同じようにはいかないだろうし、歩けるようになる頃には周囲には誰も人がいなくなっている。皆、自分が進むことに必死なんだ。そこで発生する孤独感や孤立感が改たな一歩を阻害する、歩幅を縮める。そうやって一度立ち止まった人間は連鎖的に自信を失ってしまう。

 

 傷一つない美しさよりも、傷だらけの状態に美しさを感じる。それは傷だらけでも壊れていないからであって、壊れてしまえば芸術的価値が損なわれる。その破滅的な姿でさえも”芸術”と称されるとこちらは何も言えないけれど、きっと人々はその姿に畏怖するだろう。

 

 まだ歩く事が出来るけど、気が付けば傷だらけになっていた。そんな人は今すぐ休息を取ってほしい。より快活に歩くために、今はゆっくり休んで傷を癒してほしい。壊れていないからこそ、落ち着いて休むことが出来る。壊れてしまった後では、修復が難しい場合が多い。あなたはあなたのことだけを大切にして、生きていてほしいと切に願います。

 

 

 傷だらけの美脚を掲げて、

 あなたの大切さをもう一度問いたい。