[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0128 過去に消えろ

 

 夢の中で過去に関わったことがある人物が出てくると、とても嫌な気分になる。現在は全く関わりがないのに、私の夢には許可無しに登場する。もうほんと止めてほしい、別にあんたの顔が見たい訳じゃないんだよ。相手へ抱く印象や想いに関係なく、夢で過去に再開すると心が萎れてしまう。

 

 わかっている、原因はわたしの脳味噌にある。記憶領域が”過去”を現在風にアレンジして舞台に引き上げる。思いもしなかった出会いを、突然脳裏に突きつけられる。「気付けよ自分、それは過去の残像なんだから、なに楽しそうに会話なんかしてるんだよ。」なんて嘆きは夢の中には響く事がない。まさに夢中になっている、過去を生きた記憶に対して。

 

 基本的に、何年も前のことを振り返ったり、懐かしんだりすることが苦手だ。その瞬間だけは過去を生きているような感覚があって、「さっさと現在を懸命に生きろ」なんて思ってしまう自分がいる。楽しかったことや嬉しかったことは、過去になんか置き去りにしないで、未来に連れていってあげればいい。過去があるから現在の自分が生きている訳であって、現在の自分が”今”に集中出来ていないと、未来の自分が不確かなものになる。根拠のない予期不安に前頭葉を鷲掴みされる、輝かしい過去と現在を比較して悲惨な結末を辿る。

 

 総じて、すべての過去は美化されるもの。もう二度と同じ時間を味わうことが出来ないのだから、それは大層美しく感じるだろう。だからこそ、私はその美しさが苦手だ。その輝きに触れる代わりに、多少不恰好でも構わないから現在を彩りたいと考えている。時の移ろいと共に、美しさは増していく。もう私たちは、現在を泥だらけになって生きるしかないのだ。そうすることで、未来が形成されていく。「綺麗だね」と言われた瞬間に、対象物は刻一刻と過去になっていく。美しさは過去の中に在って、現在を生きたその先に、幾らかの未来が確立される。未来を断絶することは可能だけど、過去の美しさを破壊することは出来ない。過ぎ去った後には、いくら足掻こうとも事実を捻じ曲げることは不可能なんだ。それならば、変えられない過去に思いを馳せるよりも、現在生じている苦悩を存分に味わいたいと思う。傷だらけで、歩いていきたいと思う。

 

 

 月に一度くらいのペースで、友人と居酒屋で酒を飲んでいる。下らないことから真面目なこと、哲学や概念に関することまで多岐にわたり色々な話しをする。この居酒屋で繰り広げられる会話の中で気に入っている点は、基本的に過去の話題が上がらないこと。友人とは十年来の付き合いになるが、基本的に会話の行く先は現在(または未来)を指している。密かに思っていることだけど、これがとても居心地良く感じる。

 

 思い出話しに花が咲くこともあるだろうし、そういう人達を否定するつもりはない。ただ個人的に、美しい過去を肴にして酒を飲むぐらいなら、現在お互いが感じている様々な感情に焦点を当てたい。自分の過去にも、あなたの過去にも興味はない。重要なのは現在であって、目の前にいるあなたの「今」を何よりも知りたい。それが最も感情的な相手との向き合い方だと、私は思うのです。

 

 ここまで書き記してきたけど、それでも無意識に過去を想う時間だってある。文章を書く時は過去に得た知識や経験を元に筆を進めることになるし、文章の中で大きく過去を振り返ることだってある。過去の中にあまりにも長時間身を置くと戻れなくなるから、意識的に現在へ自分を引き戻してあげる。あやうく美しさの中で溺れてしまうところだった、なんてちっぽけなことを思いながら、大きな欠伸を天井へと投げ掛けた。

 

 現在を生きている自分は、

 過去を生きた自分の成れの果て

 

 自分自身が過去そのものでもあるのだから、

 もうこれ以上過去を振り返る必要はありますか?

 

 「過去は美しい、だからこそあなたは美しい。」