[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0447 羽ばたいて軽やかに

 

 荷物は少なければ少ないほど、身軽になって動きやすい。そんな当たり前のこと、理解してるのに気がつけば心も身体も重くなる。挙げ句の果てには身動きが取れなくなってしまって、もうどうすればいいかわからないや。そんな類の諦めは愚かな味が口の中に広がる。

 

 常に忙しそうにしている人がいる。常に時間に追われて疲れている人がいる。どうしてそんなにも急いでいるの? 聞いてみても教えてはくれない。「忙しい」と口に出せば出すほどその忙しさは増していき、ダウン、動けなくなっている。そもそも「忙しい」という状態を自分が作り出しているだけなのであって、時間の使い方を誤っているだけだった、なんてのはよくあること。ほとんどの場合がそうなのだと思うのよ、わたしはね。だからずっと急いでいる人の気持ち、全然全然わからない。理解することはできても、改善を試みないことに対して共感はできなかった。

 

 物理的な荷物も、強迫的な時間の流れも、その何もかもを手放してしまえば、こんなにも軽やかで身体が踊るようだ。本当に大切なものはなんですか? それは本当に必要なのでしょうか? 物質主義や時間効率化、現代を生きるわたしたちは少しばかり豊かになり過ぎた。何事も過剰はよろしくない、とうに閾値を超えてしまったのだ。だからこんなにも、苦しんでいる人がたくさんいる。世の中には虚無が蔓延している。感情の使い方がわからなくなるね、スクリーンの中にいる限りは。わたしたちはこの先、笑顔を忘れ、温もりを忘れ、そして涙を流すことすら、忘れてしまうのだろうか。何言ってるの、と思われる方もいるかもしれないけれど、わたしは至って真面目なんです。これからの世は感情が衰退していく、わたしにはそのような危惧があります。だからこそ、感情を磨いている人、良い意味で感情的になれる人が輝いて見える世の中です。

 

 みんなみんな上の空。目の前で人が死んでも気づきやしない、視界が極端に狭まっている。だからこそ、輝きたい、輝いていたい。必要でないもの全部手放して、わたしはいつまでも踊っていたい。誰もわたしに気付かなかったとしても、ずっとステップを踏み続けたい。感情以外はなにもいらない、高い場所から飛び降りたい。知らない場所を目指して今日も。羽ばたいて、軽やかに。