[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0445 綺麗な光たち

 

 外にでれば小鳥たちのさえずりが、目に優しい夜明けは静かにわたしを包み込む。ほんの少し気を抜けば、当たり前が見えなくなって忘れてしまう。ずっとそこにあったはずの有り難いこと、何度も何度も見失い続けて。それでも時折、思い出している。思い出さねばならんのだ。目覚めることも、コーヒーが飲めることも、食事も、労働も、運動も、その何もかもが当たり前なんかではなかった。今日を生きられること、それ自体が尊いものだった。出会うこと、愛すること、交わること。かけがえのない関わり合い、わたしは心を配りたい。

 

 自分の内側から外側へ、外側から世界に向けて、視野と在り方を広げてみる。世界はこんなにも美しくて、少しばかり冷たかった。いつだって忘れ去られる、わたしがここにいることも、愛を求めていたことも。日常に溶け込んだ『それ』は当たり前として作用する。どうしてみんな忘れてしまうんだろう、どうしてわたしは気付けないままだったのだろう。毎日忙しくて、それどころじゃないのかしら現代人。消費と労働を繰り返すことが、正しいこととして教科書に刻まれている。ずっとそこにあった「愛」そのものが、愛されたいと泣いていた。

 

 物質的な富を幸せと勘違いした人たちが、今日も速足で街を駆け抜ける。大切なものは自分の内側に揃っているはずなのに、向き合うことなんて後回し、着飾ることで自分は偉大だなんて勘違い。テクノロジーも、豪勢な食事も、ブランド品も、もうこれ以上は必要なかったのにね。わたしたち。もっと、もっと、鼻息を荒くしながら、満たされない、まだ満たされないと嘆いてる。空虚を求めながらスマートフォンと睨めっこ、眼精疲労で睡眠不足気味。「ただいま」と帰れる家があって、「いただきます」と食べられる机があって、「おやすみ」と眠れるベッドがあれば、もうそれだけで充分だったのに。健康で文化的な、美しい富であったのにね。愛を伝えられる人がいれば、わたしたちはこれからを生きていける。ただそれだけのことを、忙し過ぎる現代人は忘れてしまう。日常のなかで置き去りにされた愛が今日も、わたしを見つけてと泣いている。先ずはそっと優しく抱きしめて、すべてのことを受け容れて。それ以上のことはなんにもしなくていい。いまはただ、ゆっくり休んで眠ってあげる。わたしたち、なにも求めなくてもよかったのだ。愛がすべて、愛だけがすべてなんだよ。優しいね。