[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0249 人工涙液

 

 

 この時期になると普段よりも光がまぶしく感じられて体力が削られる。今年は例年よりも症状が酷くて困ってしまう。ただでさえなにもしたくない私だけれど、言葉通り何もできないわたしになってしまう。”したくない”という怠惰は、出来るけれども動かないままでいる贅沢な状態なのだと思う。”できない”ことに対して選択の余地は与えられない。薄暗い部屋の中でただジッと目を瞑る。感情を言葉に落とし込みたい想いが眼球の奥底で疼いて痛い。「一体いつまでこの状態が続くのか」そんな使い古された不安だけが暗闇の中で忙しなく動いている。

 

 心が吹き荒ぶ最中で頭に浮かぶ情景は、世界の外側へ身を投げだしている自分の後ろ姿だった。死んでしまえば全てが終わる、そんなことばかりを考えるようになった頃合いに、どうしても耐えられなくなって内に閉じ込めようとしていた感情が暴発した。人間は想いを言葉として表現することで理解を深めることが出来る。その為に人は言語を確立した。自己、他者、世界、全てに対する理解の姿勢を示した。だれかに話しを聞いてもらうこと、カウンセリングを受けることでも、インターネット上で顔の見えない誰かとコミュニケーションを計ることでも、形は何だっていい。想いを外側に吐き出すことが大事で、それは一番に自分の為になる。本音を伝えることは難しくて、隠したままでいることは簡単だ。もしかしたら相手にしてもらえないかもしれないし、場合によっては不快に思われるかもしれない。それでも、そんな時でも、相槌を打ちながら話しを聞いてくれる人が一人でもいれば、暴発した心は幾らかの安らぎを思い出すだろう。

 

「人が生きる上で一番大事なことはな、本当につらいときに『助けて』と口に出して言えることやねんで」

 

夢をかなえるゾウ0~ガネーシャと夢をたべるバク~ / 水野敬也

 

 そのたった一言が上手く喉元を通り抜けない。それでも勇気を出して伝えてみてほしい。助けを求めることは、決して相手に迷惑をかけることではない。それでも物心ついた時から「人様に迷惑をかけてはいけません」と洗脳さながらの教育を受けてきた私たちは、苦しい時、辛い時に助けを求めることが出来なくなっている。心のどこかで引っ掛かりを感じてしまう。

 

「でもね、そういう時はだれかを頼ってもいいんだよ」

 

 本音を隠し続けることに疲れた、という本音を相手に聞いてもらってもいいじゃない。いつまでも自分の中で抱え込まなくてもいい、すべてを吐き出さなくても、部分的にでも言葉にしてみてほしい。そうすることで自分の中でも感情の整理が行われるし、誰かに話しを聞いてもらえるだけで安らかになれる。世界を憎むのは構わないけれど、決して自分のことは憎まないであげて。自分に優しい自分で在りたい、自分のことを愛してあげたい。豪雨で自己愛の土台が崩れてしまった時は、濁流に飲み込まれないように誰かの手を借りてもいいんだよ。そしてある程度波が収まってきたときに、ゆっくりと自分自身を再構築していけばいい。相手が困っている時には、今度はわたしが手を差し伸べる。その為には心が健やかである必要があって、その時にわたしが生きている必要がある。だからわたしは、いまこの瞬間の中を、言葉を紡ぎながら生きようとしています。

 

 

 あの日の「ありがとう」を伝える為に