[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0242 あんよが上手な昔の話し

 

 見てみてこんなことが出来るんだよ

 こういうことも出来るようになったよ

 みんなの中で一番になれたよ

 すごい? すごいよね? 僕ってすごいよね?

 

 あの頃は両親の言葉だけが少年の全てで、あなた達からの「すごいね」や「よく頑張ったね」が欲しくて本当はやりたくなかったことを頑張ってみたりした。成績が上がれば、異性からモテれば、友達がたくさんいれば。まだ幼く小さな脳味噌で考えられることは今考えると浅はかでしかないのだけれど、それでもあなた達に喜んでほしかった。自分たちの誇りとして、わたしを認めてほしかった。

 

 その時に受け入れてもらえなかったこと、想いに気づいてもらえなかったフラストレーションが積もりに積もって、その重みで少しずつ人格が歪んでいく。そうして子は大人たちを諦めてしまったり、認めてもらえなかったあなた達を憎むようになったりする。本当はそんなことしたくないのにね。大好きなのに、わかっているのに、止めたくても止められない想いがあって、それはずっと暴走していて、気が付けばボロボロになって心の中が沈黙するばかりだ。たった一言もらえれば良かった、それだけで幾らかの歪みは解消された。お金なんてほしくなかった、言葉だけ、心からの温もりを何よりも求めていた。

 

 関わりあうことがなくなって、自分が成長して初めて感じるのは「その時は相手も苦しかったのかもしれない」という砂粒程度の理解みたいなもの。自分自身に余裕がないと他人に優しくすることは難しいから。ずっとずっと苦しかったのかもしれない、幼い少年には想像すら及ばないような現実に切り付けられていたのかな。それでも、もう少しだけ私のことを見てほしかった。物質以外のもので満たされたかった。噓でもいいから、言葉で包み込んでほしかった。

 

 過去を振り返ると欲求が嵩を増して暴発するから、もう考えないようにしているというか、考えないことが当たり前になっているんだけど、高熱で朦朧とする意識の中、少年の叫び声がわたしの心にしっかり響き渡った。そっか、そんなこと考えてたんだ。とても単純なことだったんだ、ただ認めてもらいたかっただけなんだ。現在も抱えているこの虚無は、きっと淋しさから派生したものなんだろう。

 

 認めてもらうことに関しては、大人も子供も関係ないと思っていて。大人になるにつれて認めてもらう機会は減っていく。寧ろ大人こそ言葉の抱擁が必要ではないか。自分が成し遂げてきたこと、取り組んでいること、今日を生きたことをあるがままに肯定されると、それだけでもう少し生きてみたいと思える。良い意味でも悪い意味でも、人間って単純なんだ。それはあなたも私も変わらなくて、中身は全く違ったとしても同じ温もりが通う人間なんだ。だから、とても悲しいことを知っているから、わたしは出来る限り誰かのことを認めながら、しばらくの間は生きていたい。全てを受けいれることは難しいかもしれないけれど、心が動いた部分をきちんと言葉にして伝えたい。『いいね』『すごいね』『最高だね』って互いに伝え合うことが出来れば、もう少しだけこの世界は息がしやすくなると思うのです。呼吸が深くなるにつれて安心が身を包むから、その時に初めて淋しさに寄り添えるのかもしれないね。

 

 わたしはあなたの親にはなれないけれど、

 よき恋人、よき友で在ることは出来る

 

 あなたはわたしの親にはなれないけれど、

 よき恋人、よき友で在ることは出来る

 

 そんな関係性の中で

 ちょっぴり悪いことを繰り返しながら

 この世界の中を生きていたいものですね

 

 安心して、そしてたくさん笑いながら。