[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0321 遅咲きのカタルシス

 

 急に心の中から毒素が抜けたような、この感覚は一体どこからやってくるのだろうか。いっそ清々しいまである、いまの心境に名前をつけるならば「愛」になる。気持ち悪い、年に数回このような感覚に包まれて、これまでの自分が私自身ではなかったみたいだ。これこそが、この愛に満ち溢れた清々しさこそが、わたしだったのかもしれない。なんだかずっと酔っぱらってるみたい、素面を忘れた子供みたいだ。この後、そう遠くない未来にバコンと落ち込むこと、目に見えてる。最高、ありがとう、人生、感謝、いっそのことこのまま飛び降りてしまいたい。これまでずっとそうだった、上がりきったテンションはそう長くは続かない。アゲアゲな人生なんてどこにもない、ただ未来から精神の前借りをしているだけだ。わかってる、そんなことわかってるはずなのに、今回だけはなんだか違う気がするんだ。毎度毎度おなじことを思って、信じて、そして自分自身に惨敗する。

 

 ひとが自己愛に充ちている時、世界に対して感謝を抱くのかもしれない。生物が愛おしく感じるのも、前提として自分に愛を注げているから。必要量、もうお腹は一杯だった。いなくなった人のことも、いなくなってくれてありがとうと思える。嫌いなひとのことも、嫌いでいさせてくれてありがとう。死にたいと思えるほど思考を深められる自分が、どうしようもなく虚しかった。ここからが笑い泣き、泣き笑い、そして温かい気持ち。つくづく実感するのだけれど、じぶんはとても恵まれていた。環境はいつだってわたしの味方だった。それなのに、なにもかもがどうでもよくて、いなくなりたいと思っていたのは、それを拭えないのは、感謝が不足していたからなのかな。そのなかで大切なことに気が付いたから、ある朝目覚めたら、世界が輝いて見えるような感覚に包まれたのかしら。まるで、寝ているあいだに脳を取り替えられたみたいで、いまのわたし、とても落ち着いている。ないもの、なくなったもの、うしなったものを数えるよりも、いま手元に残っているものを数える方が、簡単で早く終わることを知った。

 

 こうしてわたしは過去の自分自身を失っていく。それを取り戻そうとするわたしもいて、わたし同士で殺し合いをしている。やめて、もうやめて、これ以上自我を蔑ろにしないでおくれ。セルフハグ、久々にすべてを受容されたような感情が生まれる。傷つけ合うことを止めたわたしは、やっとあなたのことが見えるようになった。周りが、世界のことが、見えるようになった。これまでなんにも見えていなかったのだ。自分だけが絶望的で在るみたいな顔をして、そんなことでは温もりは遠ざかるばかりなのに。離れてはじめてわかることがある。失ってはじめて嚙みしめる思いがある。だからこれまでのことは、すべてが正しかった。今日までの道のりは間違っていなかった。たくさん失敗を重ねてきたように感じるけれど、それら全てが当時の自分には必要なことだった。忘れないで、そこにあなたがいたことを。思い出さないで、わたしが渡せなかった温もりを。明日も、またその明日も、わたしは私を失っていく。