[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0129 不向きが多すぎるこの世界で

 

 人間には向き不向きがあるってことを、最近とても痛感している。

 

 多分、誰しもが向いていることよりも不向きなことの方が多いんじゃないか。総合的に捉えて、生きることにすら向いていない人だっている。その中でも不向きに取り組まないといけない瞬間は必ず訪れる。不向きの克服を考えることもあるだろう。しかし、克服には莫大な時間と労力が必要だから、心身ともに疲弊してしまう。

 

 自分に対して、世を懸命に生きる方達に向けて、ただ一言だけ伝えたい。

 

「もう全部、諦めてしまえ」

 

 例えば、食物における好き嫌い。嫌いな食べ物は嫌いなままで、無理に食べようとしなくていい。「美味しい」と思える食べ物だけを体内に取り入れればいい。自分が嫌いな食べ物を、好きだという他人は必ず存在する。そういう人間に消化吸収を任せておけばいい。

 

 例えば、そりが合わない人間関係。苦手な人間は誰にだっていると思う。そんな人間とは、物理的に距離を置くしかない、出来る限り関わらない選択を取るしかない。それでも、職場に存在する苦手な人間は”完全無視”と言う訳にはいかないだろう。その場合は最低限の挨拶だけを交わし、上手くすれ違い続けていくこと。どう頑張っても合わない人は合わないままだから、そんな人間は人生から抹殺するべきだ。

 

 例えば、一つの物事を継続することが出来ない。これはもう質より量をこなせばいいと思う。続かない=自分には合わなかったということ、どちらかといえば不向きだったということだ。それが判明しただけでも自分史上としては大発見なのではないか。少しでも向いていないことが判った段階で早急に切り捨ててしまう。向いていることに触れた時には、心が素直に教えてくれる。自分にピッタリ当てはまるものを、何度でも何処までも、探し続けていけばいいと思う。合わないことは合わない、駄目なものは駄目、それこそが正義。

 

 

 わたし達は、不向きなことに時間を注力している場合ではない。時として、それを得意とする人に任せることも立派な判断だと思う。掃除が苦手な人は掃除代行に頼めばいいし、料理が苦手な人は飲食店に足を運びプロの味を堪能すればいい。その対価として自分の資金をお支払いする。家事全般は概ね委託することが可能だし、その他にもお金で解決できることにはどんどん資金を投じるべきだ。そうすることで、自分はやりたいこと/向いていることに時間を費やせるし、より能力を伸ばすことが出来る。それこそが大人(仮)の特権なのだと思っている。

 

 自分が向いていると思うことだけに取り組んで、生きていたい。

 

 実現不可能な理想論と思われるかもしれないけれど、割と真面目にそんなことを考えている。歪な人間関係が面倒くさいから、切り捨てて切り捨ててを繰り返していると、気が付いた時には周囲からほとんど人がいなくなっていた。ちょっぴり寂しいけれど、自分に使える時間が大幅に増えた。意図的ではないにしても、その時間を使って”向き”に出会うことが出来た。

 

 料理はしない、ただ苦痛でしかないから。

 家族とは必要以上に関わらない、ただ悲痛でしかないから。

 自分の時間を無駄にしない、もう後悔したくはないから。

 

 ここ最近、集団生活が苦痛に感じるようになった。その感覚が日に日に増していて、少しばかりの疲労が心に圧し掛かる。群れている人間も、その中にいる自分も、環境の何もかもに嫌悪感を抱き始めて、そろそろ今後の在り方を考える頃合いなのかもしれない。人は産まれてから死ぬまで”独り”であるにも関わらず、人は一人では生きていけない。相対的な矛盾に苛まれる日々から抜け出す為に、"不向き"な現状から脱する為に、わたしは人生を再構築する必要があった。

 

 

 そういうことを考えている時間が、とても幸せで、頭が痛い

 

 わたし達は、向いていることだけを抱きかかえて、明日へ歩みを進める

 

 不向きは道中で捨ててしまえ、大切なことの為に、かけがえのないあなたの為に。