[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0122 一人で在ること

 

 本を読んでいる人が好き。その人が、というよりも、読んでいる姿そのものが好きだ。そこには一種の芸術性が佇んでいて、読んでいる本が分厚ければ分厚いほど心がゾクゾクする。時折、インターネットで画像検索してしまうほどにその姿を愛している。

 

 勉強している人も好きだ。教科書やノート、PC等を机に広げて、一心不乱に筆を走らせている。これも勉強をしている姿が好きで、ずっと見ていたいと思ってしまう。

 

 それらに共通しているのは、「一人きりで、目の前の世界に集中している」ということ。本を読むときはいつだって孤独だ。誰かと一緒に本を読むことは難しいし、出来たとしても精々絵本の読み聞かせぐらいだろう。勉強に関しても、一人きりで勉強している人が好きだ。誰かと一緒になって勉強している姿には寸分も魅力を感じない。

 

 ”一人”を強く感じられる姿が好きということは、裏を返せば自分はそこに大きな憧れを抱いているのかもしれない。わたしは、基本的に多人数で何かを成し遂げるということが苦手だ。だから、会社員には向いていないと思っているけど、試行錯誤して何とか向いているような振りをしている。仕事となればある程度割り切ることが出来るし、ピエロを演じることは容易い。しかし、これがプライベートとなると本当に耐えがたい苦痛を感じる。

 

 群れないと何もできない人間が嫌いだ。いかなる時も群れを成して自分が大きくなったように錯覚をしている。大声を張り上げて馬鹿みたいに騒ぎ立てるのに、一人になった途端にその威勢よさが消失する。弱いから群れをつくる、一人では何もできない臆病者だから、集団で行動する。別に、臆病であることが悪いと言いたいのではない。臆病者同士が集まった時にだけ、急に大きく胸を張ることは止めなさい。みっともない、それ以上醜態を晒すことは終わりにしよう。見ているこっちが恥ずかしくなるから。

 

 人間は社会的動物であって、これまでも群れを成してDNAを子孫へと繋いできた。だからこそ、群れを完全に否定するつもりはない。自分一人の力で生きていると思っている訳でもない。色んな人が色んな形で関わりながら、人間同士で関係を結び生きている。それでも、あくまで自分は”一人”の人間だということを忘れないようにしたい。多くの”個人”が一つの場所に集結して、大きな力を発揮する。確かにその力は強大なものかもしれないが、その力は自分自身の力量ではない。集結した大きな力を分解すれば、”個人”が持ち合わせる力など高が知れている。決して勘違いしてはいけない。決して自分が強く大きくなったように錯覚してはいけない。

 

 少し熱くなってしまったが、要するに群れて騒がないでくれということ。そんな思いがあるからこそ、一人で在る人が好きだし、集団の中にいても”一人”を感じる人が好きだ。そういう人には話しかけたくなるけれど、一人の時間を邪魔してはいけないという思いもあり、言葉が上手く喉から上へ出てくれない。「いくら群れを成した所で人間が独りであることには変わりない」ということを胸に深く刻んでいる、その生き方を私は愛している。そんな魅力的な人間と、ゆっくりお酒でも飲みたいな、なんてことを時折夢想しては、撃沈する。

 

 

 複数人で力を合わせるよりも、

 ”一人”と”一人”でぶつかり合いたい

 

 そこで発生した衝撃波が、

 これからの私たちを活性化させる

 

 そんな関係性を築き上げたい

 

 ただ群れているだけでは、世界はなにも変わらないから。