[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0111 傘を持たずに雨の中

 

 時々、もう全部投げ出してしまいたい気持ちになる時がある、ってことを定期的に言ってる気がする。

 

 [am 6:00]時点でこれだけ気分が沈んでいるから、夜になったらどうなるのだろうかと未来が恐ろしい。

 

 今日は何もせず、金に物を言わせて自分を甘やかそう。好きなもの食べて、好きなもの飲んで、好きになるかもしれない本を買おう。レイトショーを観に行くのもいいかもしれない。作品は何だっていい、ただあの空間を味わいたいだけなんだ。

 

 倦怠感というか、何もしたくないというか、眠ることさえ行いたくない。それでも無意識に仕事の身支度をしている自分がいて、行動と思考の解離に笑ってしまう。もはや行動パターンを組み込まれたロボットみたいだな。

 

 これまで、何もしたくない日には身体的な体調不良を理由に仕事を休んできた。勿論、立派な嘘である。しんどいものはしんどい、精神的な辛さは想像力が必要だけど、身体的苦痛は想像に容易い。相手がより理解しやすいように、解きほぐして虚偽を述べているだけだ。

 

 しかし、ご時世的に身体的体調不良を訴えることも難しくなってきた。体調不良は何でもかんでもコロナウイルスに結びついてしまう。表層的に社会全体が敏感になっている。頭痛も、腹痛も、吐気も、発熱も、何もかもが使えない。今日一日だけ休みたいだけなのに、その口実が上手く思いつかないでいる。

 

 そんなことを考えるのも煩わしくなって、もうどうにでもなれと出社を決意した。偉い、と言いたいところだけど、身を削るような生き方はよろしくない。「もうちょっと自分を甘やかした方がいいよ」みたいなことを誰かに言われたい人生だった。何だかラブコメディーを恋愛の指南書としている童貞の妄想みたいだな、泣けてくる。

 

 気分が沈んでいる時は、いつもより心が荒んでしまう。そんな姿を誰かに見られたくないし、そんな状態で誰かと関われば相手に迷惑をかけてしまうかもしれない。だからこういう時は出来るだけひっそりと一人の空間に閉じこもっていたい。

 

 それでも、会社へ到着したときには笑顔を浮かべ「おはようございます」の九文字を口から発音しているのだろう。挨拶をしない人間が嫌いだから、自分はどれだけ落ちぶれたとしても、苦しくても、挨拶だけは丁寧に行いたいという信条がある。

 

 無事、信条を遂行した後には、普段と何ら変わらず定時まで働き続けるのだろう。なるべく違和感がないように、わたしはピエロを演じる。倦怠感と肩を組みながら、軽快なジョークを繰り広げる。そして、帰り道に今日という一日を後悔する。

 

 常にご機嫌な"フリ"をすることが大人の使命だとするならば、わたしは望んで大人を辞職したい。退職届を提出したい。

 

 そんな一日があってもいい。せめて今日だけは、お子様ランチを頬張りたい。その場限りの関係で童心を露呈させる。誰も甘やかしてくれないのなら、自分自身で目一杯甘やかしてあげて。

 

 "お酒やタバコは20歳になってから"

 

 都合の良い年齢の使い方をすればいい。

 

 いつまでも子供のままで構わない、

 それでも立派に生きていけるから

 

 苦しい時は甘えてしまって、

 辛い時は泣いてしまって、

 何もかもに疲れた時には、

 

 ベッドでぐっすり眠ってしまって。