[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0293 幻嗅とやつがれ

 

 もう本当に、最近感覚過敏が甚だしくて、特にこの愚かな嗅覚が群を抜いて暴れまわっているのだ。

 

 良い匂いと不快な臭い、恐らく、我々は直感的に判別していると思うのだけれど、可もなく不可もない「普通の臭い」というのは、ちょっとした神経のピリつきによって不快に感じることがある。例えば、外気のにおい。車が走ればガソリンの臭いが宙で空気と入り混じり、都会で暮らしている以上、日常的にはなにも気にしていないはずなのに、途端に鼻がそれを繊細に察知する瞬間があって。一度捉えてしまえばもう離さないといわんばかりに鼻腔を支配する不快臭が、憎い。不快が様々な不快を呼び起こし、身につけている衣服にもそれら不快は纏わりつき、心休まる場所がどんどんどんどん無くなっていくのだった。

 

 こうなると、もう自宅に戻ってシャワーを浴び、洗濯済の衣服に着替えることでしか自分自身を浄化する方法はなくて、「うーん、いっそのこと鼻栓でもして生きていこうかしら」と思うのであった。マスクをすればいいじゃないか、と言われることがあるのだけれど、マスクはマスクで、顔面を覆う感覚が神経をツンツンと刺激するものだから、よっぽどの体調不良ではない限り、装着したくはない(コロナ渦は本当に地獄だった)。こんな話しをしていると「ああいえばこういう、本当にワガママ」と言われることもありまして、これに関しては本当にその通りだよな、と思うのであった。

 

 やっぱり体調が優れない時は神経が過敏になりやすいらしく、季節の変わり目(もう変わった?)ということもあり、これは仕方がないことなのかもしれない。他にも眼球が過敏になったり、それに応じて心が沈んだり、不調がまた異なる不調を呼び起こす。その度に少しばかり落ち込む。なんとも言えずダウナーで、薄暗い日々を過ごしております。

 ふと、嗅覚を不快感がかすめるような瞬間があって、周囲を見渡してみても原因と断定できるものは存在しない。しかし、数秒後にはまた鼻を刺す不快臭。結局、原因はわからないまま、恐ろしくなりその場を立ち去ることになるのだけれど、一体あれはなんだったのか。

 先日、インターネットを泳いでいる時に「幻嗅」という症状を発見した。実際には存在しない臭いを嗅覚が感じ取る症状で、これも幻覚の一種とのこと。時折訪れる謎の不快臭、あれは幻嗅だったのか。欠けたピースがピッタリと当てはまったようなスッキリ感と共に、ほんのすこしだけ不安にもなった。主に統合失調症の患者に見受けられる症状でもあるらしい。自分の場合はこの「幻嗅」の他にも「幻触(勝手に命名してる)」というのもあって、実際には触れられていないのに触られている感覚、実際には飛んでいないのに液体が跳ねて付着した感覚、などがある。いまのところ幻覚も幻聴もなく、その他は緩やかに暮らせているのだけれど、存外こういうのって、幻って、身に起きることなんだなぁ......と、電車に揺られながらそんなことを考えていた。

 

 考えれば考えるほどに落ち込みが増していくので、もういっそのこと開き直るしかなかった。恐らく、一度幻を疑い出すと、現実を現実として正視することが出来なくなってしまう。だから、わたしは思考することを止めた。目の前で起きていることは、紛れもない現実である。しかし、時には疲弊によって部分的に幻を感じてしまう時があるかもしれないけれど、それでも、その大半が現実である。現実の中に立って、一歩ずつ歩いている。身に纏っている衣服も、靴も、ピアスも、香水も、サングラスも、その何もかもが現実として存在している。あなたもわたしも、存在そのものが現実の証明なのだ。わたしは幻なんかに惑わされない、絶対に負けてあげない。これが虚勢であっても構わない。意志を頑強に保っていないと、僅かな幻たちに潰されるような気がした。もしかすると、既に潰されている部分もあるかもしれないけれど、わたしは今日という現実の中を、間違いなく歩いていた。