[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0145 それでも生きてる

 

 ごきげんよう。

 最近駄目だな、上手く心を乗せることが出来ない。

 

 とにかく色んな情報が頭の中に入ってきて、その一つ一つに少しずつ脳内を侵略されていくような、そんな感覚がある。じゃあ情報を取り入れなければいいんじゃない、なんて簡単な話しではなくて。

 

 ただ家の周辺を散歩しているだけでも情報の波に圧迫されるし、繫華街にでも行こうものなら無事に心が死亡する。お酒を飲むと情報同士が入り乱れてより鮮明に心が腐敗してしまうから悲しい。

 

 他人との会話でも同じで、良い意味でも悪い意味でも指摘された部分は無理してでもその意見に沿うように自分を変えなきゃいけないような気がして、一杯一杯になってしまう。

 

 そんなことないのにね、

 もっと自由に生きていいはずなのに。

 

 

 最近、外に出かけると日差しが眩しくて苦しい。曇りの日でも眼球に負担が掛かっている感じがして、快晴の日には目を開けていることすら難しい。そんな訳で、表ではサングラスを装着していることが多いんだけど、これって一体何なのだろうか。コロナウイルスの後遺症として同様の症状が確認されているみたいで、もしかすると罹患していたけど無症状のまま時が過ぎ去ったのかもしれない。

 

 その影響もあって、きっと疲れている。仕事上でも、こうやって文章を書くのも、スクリーンと睨めっこ状態でブルーライトが眼球に刺さる。もう今は出来る限りアナログで生きていたいと思うんだよな。紙の本と、紙のノートと、ボールペンがあればそれでいいや。運動して、ご飯を食べて、本を読んで、ベッドで眠る。それだけでいいや。

 

 不感症の対義語って何なのだろうか。Googleで調べてもよくわからなかった。敏感症?過敏症?みたいな感じかな。

 

 勝手に明記してしまおう、自分は現在「五感過敏」に陥っているんだと思う。何もかもに対して心が過剰に反応してしまって、息苦しい。だから上手く文章が書けませんでした、だから更新が滞ってました、それを言い訳にはしないよ。

 

 でも、多少なりとも事実の部分はある。全然、言葉の上に心が乗らない。書き進めている現在でも、言葉に重みが感じられない。スカスカのスポンジ状態だけど、これはこれでいいかもしれないな。

 

 ただ心の動きをそのまま言葉にしているだけだから、思い悩むことなくスラスラ言葉が整列していく。読めたものじゃないかもしれないけど、現在のわたしには書く行為そのものに価値がある。他の誰かじゃなくて、完全に自分だけの為に書いてる。それってただのマスターベーションだよな、って内なる自分がぼやいてるけど、それでもわたしは書くよ。

 

 

 弱くても、繊細でも、敏感でも、それでもやっぱり生きていて。ただそれだけのことを不思議に思う自分がいる。「なんか凄いな、人間って」、ノスタルジックな夕暮れ時に人の温もりを思い出す。何だか急に馬鹿らしくなって、不器用ながらも微笑を浮かべる。

 

 

 もう少しだけ、悪足搔きをさせて下さい。