[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0125 最果てに咲いた花

 

 「作家って、基本的に毎日文章を書いてるはずよな。」

 

 ある日、そんな当たり前のことに気が付いた。これまでは自分の感情が昂った時にだけ文章を書いていた。その段階では”作家になりたい”なんて願望は微塵も無かったけど、何故か急に焦りを覚えた。それが”2022年7月15日”の出来事で、試験的に"8月31日"まで毎日執筆する事を心に決めた。背水の陣として、達成できなかった場合は友人に十万円支払う罰を自分に課した。

 

 結果的に5回ほど更新できない日があった。内容的に一日で仕上げるのが難しかったり、体調不良だったりで更新出来なかったけど、これらは立派な言い訳である。更新出来ていないことは事実だ、そこは正面から受け止める。それは自分に対する甘さだったり、未熟な部分でもあった。これは他ならぬ自分自身との真剣勝負で、己を破壊し続ける精神的な挑戦。更新出来なかった事実として、私は友人に十万円を支払う必要があるのかもしれない。

 

 この47日間の挑戦で、自分の人生が大きく変わった感覚がある。

 

 先ず第一に、毎日書く事が当たり前になった。必ず早朝の決まった時間に書く。それでも時間が足りなければ移動時間で書く、カフェに入って書く、帰宅後にも書く。もうとにかく書き続けた。日常の中での最優先事項が書くことになった。執筆を中心とした生活が目まぐるしい速さで回転していく。気が付いた時には、書く事が完全に習慣化していた。

 

 毎日続けていると、今まで見えていなかったものが見えてくる。自分の場合は、胃に食物が入った状態だと、思うように言葉が出てこないことが判明した。それに気が付いてからは、食事内容や摂取タイミングを意識するようになった。

 

 そして、睡眠がとても大切なことを痛感した。睡眠負債がある状態では、全く頭が回らない。だからこそ、思うように眠れなかったこの数日間はとても辛かった。

 

 集中して文章を書くと、もの凄い勢いで脳が疲弊していく。その状態を改善させるのが運動だった。身体を動かすと全身の血流が良くなって、脳が元気を取り戻す。

 

 結局、"健康が一番の資本"というこれまで散々言われてきた事実を再認識した。健全なことも不健全なことも、自分自身が健康でなければ書き上げることは難しい。

 

 

 そして、酒量と読書量が著しく減少した。一切の誇張を抜きにして、どちらも摂取量が十分の一程度に減った。もう書くことだけで精一杯だった。これは看過してはいけない問題点だと思っていて、酒はもっと余裕を持って飲んでいきたいし、読書量が減ったことによって、自分の人間としての厚みが大きく停滞しているような気がする。「じゃあ、休日に酒を味わいながらゆっくり本を読めばいいんじゃない?」なんてことを書きながら閃いたけど、それって最高の改善策になるかもしれない。早速今日、試してみようと思う。

 

 最後に、この47日間を経て、自分の感覚が以前よりも研ぎ澄まされたような気がする。自分の内にある本心が以前よりも洗練されたというか、鮮明になったというか。言葉でこの感覚を表現することが難しいんだけど、より感覚的になれたと確信している。自分の知らない新たな自分自身を発見することが出来た。それだけでも、この挑戦に取り組んでよかったと心から思える。

 

 文章力が上がったとか、表現が上手くなったとか、そういうのは自分自身ではあまりよくわからない。過去と現在、それぞれの記事を比較してみても、そこまで大きな変化はないように感じる。書き続けることで見えてくることはたくさんあるけれど、やっぱり、読むこと=取り入れることも同じくらい大切なんだと痛感した。

 

 そういう色々な気付きを得て、生活の改善を試みる。そんな好循環を幾度と繰り返す内に、少しだけ先の未来を眺められるようになった。重度の死にたがり症候群だった私が、現在は「もう少しだけ生きてみてもいいかもな」と思えている。

 

 恐らく、未来ではまた死にたいと思う出来事が起きるだろう。何も起きないことで希死念慮が増幅することもあるだろう。それでも、わたしは世界を呪いながら生きている。だって、私は書く事が出来るから。書き続けることで、生きていくことが出来るから。

 

 

 当ブログをお読みいただいた皆様、ありがとうございました。

 

 あなた達のおかげで、わたしは今日を生きています。