[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0135 欠点、釘を身体に突き刺して

 

 「テンションが高い時と低い時の落差が激し過ぎる、本当に躁鬱なんじゃない?」

 

 先日受け取った一言。ご名答、多分当たってる。自分でも思う、というか限りなく確信に近い場所にいる。それでも病院には行ってない。問診を受けて、幾つかの病名を告げられて、内服薬を処方されるだけだから。そんなことは過去に試したし、それで症状が悪化したこともあって、少しトラウマなんだ。内服薬は飲まずに、カウンセリングだけでも受診することは可能らしいけど、話しを聞いてもらって改善する程度の苦悩ではないことを自分自身が一番理解しているから、もう通わなくなってしまった。これは極めて内的な、自分自身との戦いだから。

 

 そんな戦いに敗れたわたしは、現在鬱の中をフラフラと彷徨ってる。駄目だ駄目だ駄目だ。自分のすべてを全否定していて、肯定を試みるも否定的な嘲笑が上書きされる。もう、どうしようもなくて泣いていまいたい。けれども、涙は一滴も流れない。そんな自分に腹が立つ、キーボードをタイピングする指力がどんどん強くなる。

 

 コンコンコン、ノック音が鳴り響く。

 「どうも、わたしは”鬱”と申します」

 知ってる。またお前か、帰れよ帰ってくれよ早くどっかいけよ。

 

 気が付けば”鬱”はベッドに腰掛けていて、優しい笑顔で手招きをしている。「なんでお前と一緒に眠らなあかんねん、死ね」、言葉とは裏腹に招かれるままベッドになだれ込むのは私。大して眠れないくせに、大して寝たくもないくせに。鬱がわたしの背中を覆い被さるようにして包み込む。これこそが倦怠感の正体であって、「あれ、思うように動けない」の正体でもある。すべての反応が鈍くなる、心の動きが停止する。その延長線上に”死にたい”がある。

 

 気持ちが希死念慮側に寄っている。このままいなくなってしまえば楽になれるのだろうか、なんて在り来たりなポエムを空に投げかけるけれど、返ってきたのは鳩のフンだけだった。

 

 私がいなくなったら、一体だれが私の文章を書くのだろう。誰がわたしの文章を書いてくれるのだろう。IDとパスワードを教えるから、だれかこの場所で書いてくれる?SNSを更新してくれる?。わたしは、まだ書きたい、書いていたい。まだ遺書と呼ぶには相応しくない。もっとたくさん、言葉を紡ぎたい。その為には、自分の足で歩んでいく必要があるんだ。この先を生きていく必要が、あるんだ。まだいなくなる訳にはいかない、まだ消えてしまう訳にはいかない。

 

 情報が過剰に脳内をかき乱すから、スマホもタブレットもクローゼットに投げ込んだ。パソコンも、これを書き終えたら即時シャットダウンする。わたしが私であることを、その正しさを理解する為に、一時的に雑音から離れる必要があった。人間に会う事も心が苦しいから、出来る限り家に閉じこもろう。今日はただひたすらに眠りを満喫しようと思ったけれど、上手く眠ることが出来なかった。それでも普段よりは多く眠ったから、今夜は眠れないことだろう。また苦しい夜が待ち構えているのかと思うと、それだけで憂鬱な気分に陥る。ただ時間が過ぎるのを待つことしか出来ない自分、その無力さが憂鬱をさらに加速させる。

 

 今日も書けないだろうなと思ったけど、心が書きたいと言っていた。無力な自分よりも、素直な心の声に従った。椅子に座っているだけでも辛い、早く横になりたいと思う。それでも、書きたい気持ちが上回っているから、何とか言葉を文章に落とし込んでいる。極限状態でも取り組みたいと思えることがあって、本当に良かった。わたしにはこれしかない、書くことで何とか”私”を保つことが出来る。それだけが唯一の救いで、自分を抱きしめてあげる行為でもあった。

 

 

 甘いものが食べたい、脳味噌を砂糖で埋め尽くしたい。

 そんな自分を、色々な意味で甘やかしてあげることが

 現在のわたしには必要なのかもしれません。

 

 大丈夫、きっとわたしは大丈夫だから。