[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0271 泡沫

 

 傷つくことが当たり前になったあの日から、わたしは誰かの中でしか生きられなくなってしまって、正直に言えばとても息苦しいと感じている。どうして私は『わたし』を保つ為に、必死に生きているようなフリをしているのだろう。いつまでも自分の中で巣食う過去の象徴たちばかりが騒がしくて脳が痛い。いつまでも、いつまでも、見せつけるようにその場所で踊り続けている。

 

 インターネット上に放たれるこれらのテキストメッセージは一種の呪いだ。誰も聞いてはくれないから、書く事でしか消化することができなかった。誰にも聞かせたくはないから、一人になることを一つの形とした。誰かに強要されている訳じゃないのにね。自分で自分を縛り付けること、その体躯に釘を打ち付けることがとてもお上手。

 

 どうしようもない、だからといってどうにかしたい訳でもない。何者でもない自分自身が一体この先に対してなにを望むのか、これっぽちもわからない。理解が追い付かない内はたくさん眠って体力を温存しようと思うのだけれど、夢の中ではたくさんの過去たちに殴られる。眠れば眠るほどに、疲労感が増す。夢の国と称されるディズニーランドに行った帰り道も、このような疲れに身を包まれるのだろうか。行ったことがないからわからない、特に行きたいとも思えない。現実の中で夢を見るのか、はたまた夢の中で現実を見るのか、わたしにとってはどちらも同じことのように思えてしまう。

 

 本当は、現実の中で、正しく現実とぶつかり合いたい。温もりの中で静かに眠り、安らかな夢を味わいたい。不可能としているのはわたし自身であって、あらゆる潤沢な言い訳を駆使してそれらを「叶わない事」として取り扱っている。逃げた先にあるのはベッドだけが置かれたワンルーム。悲しんでいるフリをしながら今日も悪夢と共存している。気持の良い眠り、気持ちが悪い眠り。気持ちが悪い自分のことが気持ち良かったり、自分のことが好きな自分を気持ち悪く感じる自分もいる。好きも嫌いも、快も不快も、そして、夢と現実も全ては表裏一体。だとすれば、『人間』の裏側には、一体何が張り付いているというのだろう? 

 

 考えたくもないけれど、向き合わなければ私は始まらないままなのです。