[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0239 明かりの中で泣いている

 

 最近になって、これまで関わってきた人、今はもう関わっていない人ばかりが夢の中に登場して、優しくわたしに微笑みかける。あれ、君ってそんなに優しい人だったっけ?なんて思いつつも夢の中では嬉しそうな自分がいて、不思議な感覚になる。もう会わなくなった人、会えなくなった人、過去になった人。そんな人ばかりを無意識下で思い浮かべているなんて、未練タラタラで現在を生きていないみたいで少し悲しい。

 

 午前4時に目が覚める、ナチュラルな悪夢に心が疲弊しているみたいだ。起きるには少しばかり早いけれど、二度寝をすれば悪夢の延長を見なければいけない気がして、眠ることを諦めた。カーテンを開けてもまだ外は暗闇が続いていて、夜に眠って夜に起きる、そんな頭が混乱しそうな一日の始まりをコーヒーの湯気が知らせてくれる。

 

 自分は一体誰に会いたかったのだろう、誰が夢に出てくれれば嬉しいと思えるのだろう。目覚めた後はいつも気分が悪くなる。夢の中でヘラヘラ笑っている自分自身に反吐が出る。わたしは夢の中の僕を愛することが出来ない。いまを見ろ、現在の中だけを生きなさい。ちょっとずつ心の欠片を置き去りにしながら、ここまで歩いてきたのかもしれない。ずっとその欠片を見ないフリして生きてきたのかもしれない。やっぱり一人で生きていくには限界があって、その地点まで歩いてしまったのかもしれない。無為な憶測ばかりを並べ立て、やっぱり僕は泣いている。

 

 夢の中で笑っていて、現実ではこっそりと泣いている。これが反転してくれればいいんだけどな。『大分生きやすくなるんだけど』なんて思うものの、涙を流す選択をしているのはいつだって私自身で、例えそれが不可抗力だったとしても、抗えないことさえも己の弱さ、もしくは強さのどちらかなのだろう。ただ生活の中で笑っていたいだけなのに、それさえも叶わない現在の有り様を他人は孤独と表現するのでしょう。SNSの中で”いいね”ばかりを求めていれば幸せになれたのかな。それで満たされる心の隙間が世界には蔓延していて、そういった事実に対してウンザリとする。極端過ぎるんだ、きっと。身近な誰かに認めてもらえればそれでよかった。それだけでわたしは救われた、それだけが原動力だった。何を目的として生きていくことが「私」を形作るのかわからなくなった現在に納得がいかないから、夢の中で過去にばかり逃げている。気持ち悪い気持ちが悪いといくら拒絶しても夢の中では笑顔の私がいて、目覚める度に少しずつ自分自身の歪みが増していく。頼むからもう、だれも僕の頭の中に出てこないでほしい。何も考えないで済むように、いっそのこと笑わせておくれよ。