[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0227 夢の中の骨

 

 自分でも過眠症なのかと思うほどに眠くて眠くてたまらない。心はある程度安定しているのに、気が付けばブログを一週間更新していなかったし、この一週間をどのようにして生きていたのかさえ曖昧でいる。ずっと働いていたような気がするし、何もかもを投げ出してボーっとしていたような気もする。一日の中に意味が詰まっていないような感じで、身体から魂だけが抜け出して頭上辺りをフワフワしてる。これも春の仕業ですかね。

 

 眠っている間の、眠っている間に見ていた夢の記憶しかない。まぁそんなときもあるでしょう、と思いながら書いているこの瞬間でさえも眠気が膨張を続けている。いまの私は間違いなく眠る為に生きている。睡眠って何よりも重要だよね、生まれて初めて加齢をこの身で実感した。たくさん眠って、追い込みをかけるようにして酒量も減ったから、意味もなく肌がモチモチとしていて自分でも思わず笑ってしまう。お腹を下すことも無くなって「嗚呼、これが健康なのか」という感じである。それ故に心が安定しているのかもしれない。ちょっぴりつまらなくて物足りなさはあるけれど、そんなことを考えるのも億劫に思えてベッドに向けて歩みを進める。

 

 

 痛い思いをしなくても、文字や言葉を通してその痛みを理解することは出来る。それでも私は痛みを実感したかった。この身で味わって初めて、痛みに寄り添えるような気がしていた。痛みは、生きる意味として機能してくれた。生き辛さこそが、無名に与えられた特権だと信じ込んでいた。虚ろな意識の中で存在しないはずの大切なモノを見ようとしていた。見える訳がないのにね、その何もかもが幻想だから。もう自分を傷つけなくてもいいんだよって、少しだけ整理された意識の私が言っている。その言葉さえも聞きたくないと耳を塞いでいるのもわたし。そんなに簡単に聞き入れてくれないのはわかってる。だから私は、眠りの中で泣いているあなたに何度だって会いに行く。何度だって言ってあげる、いつまでもあなたのことを赦し続ける。

 

 何か変わった訳ではないけれど、何も変わらないままの自分を受け入れる。変わりゆく世界の流れが憎らしいけど、信じることだけは諦めないで。私の中にある、あなたの中にある、”個”の世界をいつまでも抱きしめてあげてほしい。いかなる程の美醜に関係なく、死んだ後は誰も彼もが骨になる。それ以外は何も残らない、最早骨すら残らない人もいる。それでも形に落とし込んだ思いや願いは、誰かの中で変わらずに生き続けるから。忘れてほしいと思う反面、誰かの中に残りたいと願っている。この矛盾こそが何よりも人間らしいと思いませんか?。

 

 何も残らないからこそ、人は何かを創るのだろうか

 

 いつかわたしが骨に成っても 夢の中で愛しているよ