[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0171 母性の欠如

 

 新型コロナウイルスに罹患しました。

 

 まだ自宅療養期間なのですが、このまま何もせず横になっているといよいよ精神がおかしくなりそうなので、回らない脳味噌をセルフ鼓舞しながら久し振りに書いていきます。

 

 

 出張から帰宅して、やっと落ち着けると安堵したのも束の間のこと、コロナウイルスの陽性反応が出てあれよあれよと5日間ぐらい寝込んでいました。ベッドとトイレの往復しか出来ない自分が可笑しくて、クスクスと自己嘲笑していたのだけれど、やがてそんな余裕も消え去りあらゆる類の痛みフルコース盛りが眼前に差し出されていた。

 

 その痛みを拒絶すればするほどに痛覚は鋭敏になっていき、終いには39.4度の高熱、頭痛、咽頭痛、鼻呼吸不可、咳、痰、嚏、全身の関節痛、寒気、延々と吹き出る大量の汗、「あっ、これは死んだな」って思った。そうか、こうやっていとも簡単に人間は朽ちていくし、そういう時は大抵の場合一人ぼっちなんだ。そんなことを考える余裕も消失する頃には、食欲も性欲も枯れ果てていて、身体的な痛苦が原因で眠ることすら困難になっていた。急的に没収された三大欲求は人間としての無能さを重く自分に叩き付け、そんな鈍く流れる時間の中をただ耐えることしか出来なかった。

 

 人間、限界が近づくと思考が偏屈的になるらしい。「何で一人でこんなに苦しんでるんやろ」「何で僕には誰もいてないんやろ」「僕、何か悪いことした?」。ここまで考えた時に、これまでの悪行に心当たりがあり過ぎたので、そっと心を閉じた。そこからはごめんなさいの嵐が脳内を埋め尽くしていき、「生まれてきてごめんなさい迷惑をかけてごめんなさい役立たずでごめんなさい存在していてごめんなさい傷つけてごめんなさいごめんなさいごめんなさい」みたいな言葉の自傷に心が渦巻いていく様が自分でも恐ろしかった。

 

 

 そういえば、小学生の時に手当たり次第に「ごめんなさい」と謝り倒していた時期があったっけ。自分が何か大きな罪を犯してしまったようで、そのことが怖くて、とにかく何かにつけて「ごめんなさい」と謝罪していた。親にも、友達にも、知らない大人にも。あの時から自分は頭がおかしかったんやなぁ。

 

 そういえば、祖母ちゃん家の間取りってこんな感じやったなぁ。めっちゃ懐かしい。猫が住み着いてからは臭くて近寄れなくなってしまったけれど、実を言うとあの家がすごく好きやったんよな、自分。

 

 そういえば、幼子の頃に家族で行った動物園は記憶すら鮮明でないものの楽しかった気がするねんな。親子ペアルックなんか着ちゃってさ、なんか微笑ましいよなぁ。数年後にはすべて無くなってしまうのにな、めっちゃ綺麗な笑顔浮かべてるわ。

 

 

 「あれ、なんで今こんなこと思い出すんやろ」

 

 虚ろな意識の中、唐突に過去の記憶が脳内で再生される。これが俗に言う走馬灯ってやつ?。そうか、遂にきたのかと思った。”よかった”という安堵と少しばかりの恐怖が入り乱れている。それでも嬉しかった、丁度人生にうんざりしていたところだったから。

 

 

 それでも私は目を覚まして、生きていた。大袈裟に思われるかもしれないけど、あの時わたしは最も死に近い場所で息をしていた。生きているからこうやって文章を書いている訳であって、それは嬉しいことなのだけれど、ちょっぴり残念な気持ちも確実にある。生き延びてしまったことへの後悔、身体的苦痛が軽減されたことによる開放感、圧倒的に圧し掛かる虚無。様々な感情が入り乱れた後、繰り広げられるのは極めて小さな世界への憎悪だった。家族だったり、パートナーがいる人間のことを恨み続けた。ベッドの中で呪詛を唱え続けた。

 

 最後に残った言葉は「お母さん」だった。結局自分はいつまでも虚像に執着していて、それらを手に入れているように映る全ての人間が羨ましかった。諦めなければならないものを諦め切れず、切り捨てなければならないものにしがみ付いた。そうやって馬鹿みたいに自分も他人も憎んでしまって、この先をどうやって生きていけるというのだろうか。自分から心を開こうともしない、それなのに温もりだけを欲しがる我儘な理性に手榴弾を投じて爆破してしまいたい。

 

 

 終わらない曇り空の中をどう生きていけばいいのかわからなくて、今日の絶望を言の葉に落とし込む。