[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0224 弱い心と強い身体

 

 突然の発熱から大きく体調を崩した。

 

 同じ服を着て、同じ物食べて、同じ時間に寝て起きて。そんな繰り返しの毎日を送っていると、些細な体調の変化に気付くようになる。徐々に加速する倦怠感に動物としての本能が『ヤバい』と訴えかけていた。その夜は飲み会の予定が入っていたが、事情を説明して急遽日程変更をしていただいた。申し訳なさと遣る瀬無さが頭中に取り巻く中、それらの感情が形を成す様に頭痛へと姿を変える。

 

 帰ってすぐに寝た、けれども翌朝になれど快復の兆しは見られない。念の為近所の病院でPCR検査を受けた。結果はコロナ陰性、ついでにインフルエンザも仲良く陰性反応。胸をなでおろす私をへし折りたいのだろうか、帰り道には雨が地面を強く打ち付けていた。傘を持たず、その代わり処方された薬が入ったビニール袋を片手にぶら下げ、濡れ行く全てに不快感を抱きながら帰路を歩んだ。

 

 そこからはずっと眠っていた。薬を飲むと大分症状が和らいだ。やっぱり医学の力は偉大だ、なんてことを考えていると意識がウトウトと空想を彷徨う。

 

 体調を崩して初めて、一人でいることへの不安に見舞われる。そんな時には思考が過去へと旅に出る。そういえば、小さい頃はオカンが看病してくれたっけ。そういえば、好きだった人に看病してもらったこともあったっけ。そういえば、恩師や友人が食料を届けてくれたこともあったっけ。そういえばだらけの過去、与えてもらった優しさや愛情を思い出し、現在と比較して少しだけ落ち込む。挙句の果てに未来に対する予期不安で胸がいっぱいになる。

 

ーきっと、このまま一人なんだろうな。

ーそうやって、誰にも知られず消えてしまえ。

 

 体調不良時には持ち前のネガティブ思考に磨きがかかる。ありもしない未来に対して思考を巡らせることの無意味、その何もかもを一時的に失念してしまうみたいだ。だからといって何をする訳でもなく、ただ一人の中で心ばかりが沈んでゆく。こういう時に自分の弱さを再認識すると同時に、その弱さをどうすることもできないままの自分に少しばかりの苛立ちが募る。

 

 

『身体の形に沈んだマットレスを想う。自然死、孤独死、餓死、どうして死はわたし達に冷たい印象を与えるのだろう。温もりが消える、すなわち生命が終わる。生き物としてその本質を自然と理解しているからこそ、生きている間はずっと温もりを求め続けている。それも最後の最後まで、誰かの手を求めている。世の中のことなんかとっくに諦めちまってるのに、それでも人との繋がりだけは諦めきれなかった。こんなことなら必死に生きなければよかった、中途半端に喜ばなければよかった。だって、もう温もりの味を覚えてしまったから。側にあった温もりが消えた現在、かつての温度に耐えることは出来ないだろう。悪寒がする、ベトつく汗が身体中を覆う。こんなはずじゃなかった、冷えた手のひらを重ねて祈るように眠る。震えている、いつまで人生は回り続けるのだろう、”温もり”という意味合いでは、わたしは既に限りなく死に近づいている。』

 

 

 こんなことを書かなければ正気を保てないほどに、脳は元気に働いているみたい。もう嫌だ、ずっと眠っていると頭がおかしくなりそうだ。それでもわたしは生きていて、あなたはこんな駄文を読んでくれている。申し訳無さと有難さが殴り合いをしていて、自己肯定感がトランポリンの上で跳ねているみたいだ。馬鹿みたい、世界なんてまるで馬鹿みたいだ。その他大勢が皆一様に笑っていて、いつまでも笑い続けて、呼吸困難で全員死んだ。そして私は一人になった、だからわたしは一人を選んだ。それなのに被害者面をするんじゃない、決して情けを抱いてはいけない。

 

 今日という一日に、さようならをする。

 いつまでも、どこまでも、何度でも