[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0182 手袋の落とし物

 

 繋いでいた手はいつの間にか解けていて、気が付けば手がかじかんでいる。あまりにも手指が生気を失っているものだから、手袋で覆い温めていたんだけど、その温もりさえもまやかしであって、気がつけば産まれたままの素肌を寒気の中に露出していた。

 

 酔っ払っていたのかしら。もう自分が素面なのかどうかすら判別が難しくなる頃に、一年が沈もうとしている。翌年はやってこなければいいのになぁ、なんてことを思いながらラフロイグをストレートで呷る。繰り返される日々や呼吸の所在無さに肩を落としながらも、少し前に感じていた嫌悪感が軽減されていることに気がついた。

 

「死にたいと思わないの?」

 

「毎日思ってるよ、何なら今この瞬間も思ってる。僕は父親の精子と母親の卵子を心底恨んでる。」

 

 知人が唐突に投げかけた問いに対して、僕は言った。別に両親を恨んでいる訳ではないけれど、親から発せられた遺伝子情報が憎たらしい。そんなこと考えてると「僕なんか生まれてこなければよかったのに」と思考が急低下していくし、そもそもの話し、卵子と精子を恨むということは、現存している自分自身の何もかもを否定するということになる。そういう自己否定を繰り返しても特に何も変わらなくて、メンタルの弱い自分とメンタルの弱いもう一人の自分でセルフラップバトルをしているような虚しさがあって何だか笑える。

 

 どうせなら褒めてあげればいいのに。ディスラップではなく、魅力をビートに乗せてあげればいいのに。基本的に人は自分のことにしか興味がない生き物らしいけど、僕の場合は自分自身に関心があり過ぎて、みるみる内に形を歪めていった。だから生きてる意味とか、孤独とか、希死念慮とか、そんな形容詞ばかりで頭の中が埋め尽くされる。これら全てのことは突き詰めると自分自身に繋がることであって、結局自分のことが可愛くて、脳味噌が爆発しそうな幻痛と闘っている。生きてもいいじゃない、時には死んでもいい。孤独でも、死にたくても、もう何でもいいじゃない。

 

 繋ぐ手がどこにも見当たらないのなら、自分の右手と左手を繋ぎ合わせて温もりを感じればいい。その祈りにも似た様相が未来を変えるかもしれないし、何も変わらないかもしれない。そんなこと誰にもわからないけれど、手の中が少しだけ温かいということは自分には理解できる。もうそれだけで、それだけのことで良かったんじゃないかなぁと、現在のわたしは思っています。

 

 

 落とした手袋を探すことはもうやめた

 

 まだ僕には、自分自身が残っていたから