[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0208 いくら探しても見つからなくて

 

「馬鹿みたいに綺麗な青空が唯々わたしには眩し過ぎて、今日も瞳の奥を灰色が染める」

 

 楽になりたいと願う自分が優しさを施そうと試みる。その温もりを破滅願望が幾度となく邪魔をして、その度に挫折をする自我の集団がなんとも言えずに愛おしい。せめて健やかに眠りたかった、せめて和やかに笑いたかった。積み上げたストロング缶はいつの間にか崩れていて、アルコールの濁流に飲まれていることにさえ気が付かなかった。

 

 クソ美味い、クソだるい、クソやばい、クソクソクソクソクソ。世の中に飛び交う破綻した語彙達にうんざりしながら、流麗な言葉に想いを馳せる。鼓膜が拒否反応を起こしていて、このままではノイズキャンセリング機能をチップ化して埋め込まなくてはいけなくなりそうだなと思ったり。どうしてそんなに乱暴な言葉を使うのだろう。理解出来ないからといって否定を確定させる人間にはなりたくないのだけれど、どうしても心が拒否反応を起こしていて、その空間に酸素が存在していないかのように錯覚する。

 

 大きな交差点で信号待ちをしている時に、後ろから強い視線を感じて振り返ってみると、保育園のガラス越しにジッとこちらを見つめる少年の姿があった。彼と目が合ったその瞬間、まるでお手本のような眩しい笑顔を浮かべこちらに向けて手を振っている。自然とわたしも笑顔が伝染して、応えるように手を振り返した。すると、少年は照れた表情でそっぽを向くが、ものの十秒でこちらに向き直り再び笑顔と共に手を振る。そして同じ様にわたしも手を振り返す。そんなやり取りを数回繰り返した後、信号が青に変わった為、本当のサヨナラを込めて手を振り返しその場を後にした。

 

 その直後に目にした光景が、自転車に乗りながら道端に唾を吐きつける汚らしい成人男性だった。何だかとても心が痛くなった。あの手を振っていた少年も、何かを間違えばこのような人間になってしまうのだろうか。そんな思いが頭の中をウロボロスさながらグルグルと旋回している。そんな自分がとても悲しく思うし、仮にそうなってしまった未来を想像するだけで心をスコップで抉られているような感覚になる。感覚が鋭敏すぎる、完全なる妄想劇でしかないのにも関わらず、何故そこまで感情を注ぎ込めるのか?自分自身でも理解に苦しむ。きっとこれも”性質”の一言で片づけられてしまう心の癖に過ぎないのだろう。

 

 それでも、あの少年の笑顔に一切の偽りは含まれていなかった。久し振りに”純粋”を感じられた気がする。それ程までに私は、この世界は、穢らしく存在しているのだろうか。その上で清潔を追求してしまうから、いつまで経っても苦しみが紛れないのだろう。そんな疑問詞ばかりが宙に浮かぶ頃合いに、明かされない答えを求めることを諦める。もういいや、僕もあの少年みたいに笑いたい。何の屈託もなく、笑ってみたい。生きることに必死でただ闇雲に走ってきた結果、手に抱えきれないほどの皮肉だけが残って、限界になったら言葉にして一時をやり過ごす。憎悪を吐き出すことにも多量のエネルギーが消費されて、自分で自分を何度も何度も何度も傷つけて。そしてまた立ち上がって、自分自身に刃物を向けながら、過去に向かって手を振り続けている。

 

 あの少年にはやがて保護者のお迎えが来る。なのに私には誰もいなくて、来なくて、だからこそ俯いていて。「それが大人なのよ、保育園児と比較してどうするの?」いや、そんなこと分かってるよ。彼にはただ幸せになってほしいと間違いなく願っていたし、だからといって僕が不幸でなければならない、なんてことは無い。それでも、幸せの感受性が一時的にエラーを起こしていて、所謂”クソだるい”状態なんだ。揺蕩う幸福を目視出来ないでいる、受け取る器にもヒビが入っている。何もかもが、受け取れないままでいる。

 

 手を振り合っていた時は、人生を実感していた。生きていると素晴らしい出来事もあるものだ。それがどれほど細やかだったとしても、記憶に深く刻まれていれば、その一瞬の過去を頼りにしてもう少しだけ生活を続けてみようと思えるのです。そうやって、自分自身を誤魔化しながら、今日をやり過ごしているのです。

 

 

 ありがとう、少年。