[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.082 チック・トゥレット・シンドローム

 

チック(チック症)

概要

不規則で突発的な体の動きや発声が、本人の意思とは関係なく繰り返し起きてしまう疾患。根本的な原因は解明されていないが、4~11歳頃の児童期~青年期の男児に発症することが多い。その時期を過ぎれば自然と症状が出なくなることも。自分自身で症状をコントロールすることは難しいが、症状を緩和することは可能だという。症状が継続する期間によって、「一過性チック症(1年以内に症状が消失する)」、「慢性チック症(1年以上持続する)」に分類され、さらに多種類の運動チックと1種類以上の音声チックが1年以上続く場合は、「トゥレット障害(トゥレット症候群)」とされる。

 

引用元:

https://doctorsfile.jp/medication/199/


 

 僕は、幼少の頃からチック症という精神病を患っている。

 

 いつ頃からだろうか、気が付いた時には僕は頭を振っていた。自分の場合は運動チック(動作)の首振りが症状として確認されている。首を小刻みに振る感じで、そこに自分の意思は介在しないから止めたくても止められないというか、止めることを意識すればするほどに症状は酷くなっていった。幸い、小学校の同級生たちは皆心優しく、そのことを揶揄う者はほとんどいなかった。寧ろ、顔面にある大きな縫い傷の方が気になるらしかった。

 

 しかし、母は僕のチックがとても気がかりなようだった。そりゃあそうか、自分の子どもが日に何度も意味もなく繰り返し首を振っている状態は、何とも耐え難いだろう。ある日病院に連れていかれてチック症だということが判明した、確かそんな感じだったと思う。幼児期から学齢期にかけて「10人に1~2人」程度の発症率らしいので、割とよくある症状とのこと。その大半は一年未満に自然消滅する一過性のチックだということ。自分の場合も時間経過と共に消滅していくと考えられていて、特に心理療法などは用いられなかった。

 

 現在、発症から10年以上が経過するけれど、未だにチックが鳴り止まない。慢性化してしまっている。中学校に入学する頃には症状は一時消滅していたのだけど、高校在学中に再度動作チックがゆるりと表出するようになってきた。たしか一人暮らしを開始した頃合いだった気がするので、チックとストレスは密接な関係にあることを確信している。幸いにも自分の場合は音声チックが無い為、限りなく軽度ではあると思うけど、それでも時折指摘されて馬鹿にされたりもした。とても悔しかったけど、そういうことをする人間に病気のことを話す行為が無駄だと思い、笑ってやり過ごしていた。その情けない自分自身にストレスが溜まり、首振りは加速した。

 

 成人してからも症状が治まる事は無かった。上述した首振りに加えて、手首の匂いを嗅ぐ、唇を擦り合わせる、しかめっ面をする、そういった繰り返し事項がだんだんと増えていった。「何それ?」と聞かれる度に「頭がおかしいんだ」と笑い飛ばした。誰かに自分の状態を説明することそれ自体が煩わしくて、何もかもが無駄だと思っていた。一時は”本気で治したい!”なんて思いが沸き上がって、色々と試行錯誤をしてみたけれど、症状が改善することは無かった。寧ろ、そうすることで酷くなっていった。

 

 思い詰めれば詰めるほどに、比例して視野は狭まっていくものだ。そんなことに疲れてしまって、もう完全に諦めてしまった。「これも自分の一部なのだから仕方がないだろう。」一度開き直ってしまえば、心がとても楽になった。もうどうでもいいや、首を振ってもいいじゃない、しかめっ面してもいいじゃない。それで誰かに何を思われたとしても、それは仕方がないことだ。図々しいほどのメンタルに救われる自分がいた。現在は自分がチックだということを忘れてしまうほどに開き直っている。それでも不定期にチックが悪化するタイミングがあって、そういう時には「いまの自分はストレス指数が高いんだな」と思うことにしている。チック症が一種のストレスメーターとして機能してくれているから、自分としてもその後に適切な対応をとりやすい。

 

 

 先日、Barでお酒を飲んでいた時の話し。

 

 隣の席にカップルと思しき外国人の男女二人が座った。私は酒を飲みながら本を読んでいたのだけど、隣の席から急に寄声が聞こえてきた。ビクッと身体を震わせながら恐る恐る隣の席を覗き込む、しかし何ら不穏な気配は感じない。「気のせいかしら?」と思い、読み進めていた書物に視線を戻すと、再び寄声が聞こえてきた。また隣を覗き込むが二人は何も変わらない。「はて、これは一体どうなっているんだ。」そう思った私は、隣の席をコッソリと観察することにした。

 観察を開始して数分で原因がわかった。彼はトゥレット症候群だった。寄声は音声チック、席に座りながらもその場で少し飛び跳ねるという動作チックも見受けられた。彼はとても苦しそうな表情を浮かべていたが、彼女は何一つ表情を変えず、楽しそうに会話をしながらお酒を飲んでいた。「彼には、彼女がいてよかった」良き理解者が側にいてくれる、それだけで安心して歩みを進めることが出来るから。

 

 その後も幾らかの短い寄声が鳴り響いたが、私は全く気にならなくなっていた。

 

 彼には人としての大きな魅力があるからこそ、素敵なパートナーが側にいてくれる。ということは、私には魅力が欠けているからこそ、いつまで経ってもパートナーが存在しないのだろうか。なんて意味のわからない方向に解釈が出発しそうになったので、慌てて意識を書物の中へと戻した。「みんな違って、みんないい」なんて馬鹿げた妄言だけが、頭の中をグルグルと回遊していた。

 


 

 そんな私は、今日も首を振り続けている。

 きっとこれからも いつまでも