[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.073 蝶番になりたいと思っていた

 

 「そういえば最近、誰かと一緒に寝ていないなぁ」

 

 ふと、そんなことが頭に浮かんだ[AM 6:00]。何故そんなことを思ったのか、自分自身でもわからない。時折、自分でも理解不能な思想が流れ星のように頭の中へと漂流する。こんな感じだから、朝の時間が好きだ。睡眠でリセットされた空っぽの自分の中で、警報無しに爆発が起こるような、そんな感覚が好きだ。

 

 気が付けば、誰かと一緒に眠ることが無くなってしまっていた。ひとりで眠ることにすっかり慣れてしまっている自分がいた。数年前、現在よりも不安定だった時期の私は、毎日のように誰かと一緒に眠っていた。それが当たり前というか正義というか、当時の自分にとって必要なことだと感じていた。一人でいることが、一人で過ごす時間が、何よりも怖かった。家にはほとんど帰らなかったし、人様の家に住み着いていた時期もあった。外に出た、とにかく外に出た。たくさんの人と出会い、話しをしたりして、夜を明かしていた。今となっては、そこで出会った人間のほとんどを忘却してしまっている。毎晩のように体温とお酒を求めて街を彷徨うことは、想像以上に体力を消耗したし、ある程度の資金が必要だった。

 

 そんな夜を幾度となく繰り返していくうちに、故障した自分の精神が一欠片、また一欠片と剝がれ落ちていった。心の安寧を得ようと必死になっていたことは、わたしの首を締め付けることだった。体温に触れれば触れるほど、壊れていく自分が恐ろしかった。完全に、人の優しさに対して依存してしまっている。露呈した傷口をフルーツナイフでザクザク抉っているような感覚があって、それでも自分の左手はその動きを止めなかった。

 

「もう駄目なのかもしれない」

 

 内面的な、一種の自傷行為。気づいた時には心がボロボロになっていて、萎れた貧相な肉体だけが残っていた。きっとこのままでは壊れてしまう。別に誰からも嫌われていいわと思っていたけれど、嫌われてしまうと体温を享受することが出来なくなってしまう。体温が消えてしまうことを何よりも恐れているからして、自然と保守的になっている自分がいる、そんな自分に反吐が出た。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い、こんなことなら、すべて失ってしまおう。何もかもを燃やしてしまいたいと思った。

 

 自身の精神状態悪化に伴い、他人を、皮膚を避けるようになっていった。自分以外に存在している人間や動物に対して「穢れ」のような概念が発生して、酷い時期には誰かと関わることさえ苦痛に感じた。現在となってはだいぶ緩和されたけれど、それでも自身の根底には「穢れ」の概念や感覚が根付いてしまっている。そうやって他人を避け続けている内に、誰かと密接な関係を結ぶことも段々と減っていった。そして、そういう状態に慣れてしまったのかもしれない。

 

 客観的に考えて、人様に対して「穢い」なんて感情を抱いてしまう自分自身の醜さは理解しているつもりでいる。自分も他人も、動物であることには変わりがないし、何なら自分の方が不衛生であったりする場面も、きっと多いにあると思う。何よりも失礼だし、何様なんだよと自分でも思う。そういったことを冷静に考えられるし、理解していたとしても、この「穢れ」の感覚を止めることは難しい。難しいから抗おうとする、抗うから余計に悪化する。悪化は腐敗を招き、爛れゆく自分に対して絶望する。そうやって、日々の中を這いつくばって生きてゆくことしか出来なかった。

 

 そんな自分がなぜ、「最近誰かと一緒に眠っていない」なんてことを思ったのか。寂しいのかと問われると、特に寂しさは感じていないし、一人が辛い訳でもない。ただ何となく、”一緒に寝てみたい”と思い付いただけなんだろう。それに深い意味はなくて、それでもその感情に意味を見出したくて。”意味”を生産するには行動するしかない。そもそも、どうすれば一緒に眠ることが出来るんだろうか。「一緒に寝て下さいな。」なんて面と向かって言う訳にもいかないし、過去の自分はどうやって眠りを獲得していたんだろう。

 

 一番最後に誰かと一緒に寝たのは、友人宅にいる猫との記憶だ。酩酊状態で何度も中途覚醒を繰り返す度に、隣にいたり足元で丸まっていたりした。可愛いなぁこいつ、と思いながら再び眠りにつくわたし。それだけでとても幸せだったことを憶えている。

 

 

 愛でたいのか、愛でられたいのか、

 そんなことはどうだっていい

 わたしは誰かと一緒に眠りたいと思っている

 

 それだけ、ただそれだけのこと。